お母さんのことも大切にしてあげてください
診察を終え、医師が問題ないと言ってくれたので、萌は胸をなで下ろす。泣き叫びすぎて疲れたのか、陸人はベッドの上でぐっすり眠っている。
「よかった……」
油断はできないが、これでひとまず安心だと、萌は安堵の息をつく。すると、後ろで話を聞いていた暁子が身を乗り出した。
「先生、この発熱って粉ミルクばかりあげている栄養不足が原因じゃないんですか?」
暁子の言動に、萌は怒りを通り越してあきれを覚える。こんなところで、粉ミルクの話を蒸し返さなくてもいいのに。
医師は冷静に口を開いて応答する。
「そういう事をおっしゃる方はいらっしゃいますね」
「そ、そうですよね?」
「ですが、結論から申し上げますと、粉ミルクと母乳の栄養素に大きな差はないと言われています」
暁子は目を丸くする。
「え……? そうなんですか……?」
萌はとぼける暁子をにらまずにはいられなかった。同じことは萌の口から何度も伝えていたはずだ。何を初めて聞いたような反応をしているのだ。
「母乳のほうが良いという気持ちは分かりますが、お母さんの体質によっては出にくい場合があります。そのために粉ミルクがあり、そして粉ミルクの成分に関しては、母乳に近い栄養素になるように各メーカーが開発をしてくれているんですよ」
「そうですか……」
専門家の意見には逆らえないのか、暁子は口ごもった。医者は「それに」と言葉を継いだ。
「母乳をあげなきゃいけないことがプレッシャーになり、ストレスになっていれば本末転倒です。周りの方はお子さんを思うと同様に、お母さんのことも大切にしてあげてください」
「はい、すいません……」
医者の言葉に暁子を責めるようなところはなかったが、暁子自身に思うところがあったのだろう。背中を丸めて小さくなった暁子は医者に向かってうなずいた。
義母からの謝罪
萌は眠っている陸人を抱きかかえながら、病院の前でタクシーを待っていた。隣りには診察室を出て以来、だんまりになっている暁子がいる。
「本当に、ごめんなさいね……」
ふと暁子がこぼす。萌は少し驚いて暁子を見た。
「私、萌さんにひどいこと言っていたわよね。お医者さまにも言われちゃって、陸人と萌さんにひどいことしていたのは自分だったのに。……本当にごめんなさい」
「いいですよ。ミルクのことは本当にしんどかったですけど、それでもお義母(かあ)さんが陸人の面倒見てくれることには感謝してるんです。いつも本当にありがとうございます」
「粉ミルクも、今はちゃんとしてるのよね」
「そうですね。それに、粉ミルクには母乳よりもいいところがあるんですよ? パパもおばあちゃんも、陸人にミルクがあげられるんです」
萌が冗談めかして笑うと、つられた暁子も口の端をほころばせた。
「そうね。じゃあ、今度、ぜひ私にもちゃんとミルクをあげさせてもらおうかしら」
「もちろん」
萌は笑った。秋口の健やかな風が吹いていた。
もう必要以上のストレスがかかるようなこともなくなるだろう。円形脱毛症が治ったら、美容院を予約しようと思った。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。