どっちでもいいじゃないですか

日も西へと傾き始めたころ、ようやく眠った陸人を横目に一息ついた暁子は帰路につくために立ち上がった。萌も玄関まで見送りに出るが、気持ちよく感謝を述べて送り出すつもりはなかった。

「お義母(かあ)さん」

靴を履いている暁子の背中に呼びかける。

「私、もう耐えられないです。母乳だ粉ミルクだって、そんなのどっちでもいいじゃないですか。お義母(かあ)さんの言い分も分かりますけど、陸人は粉ミルクだって元気に育ってるんです」

暁子がため息をつく。刺すような鋭さに、思わず耳の奥がつんと痛む。

「こうやって手伝いに来ていただけるのはうれしいし、ありがたいんですけど、ミルクのことだけは本当にストレスで……。産後のホルモンバランスもあって、円形脱毛症になっちゃったんですよ、私……」

後半はほとんど消え入りそうな声だった。それでも言わないと自分が壊れてしまうと思った。

「へぇ?」

暁子は振り返って目を丸くしていた。萌は厚めに作った前髪をかき分け、すっかり大きくなってしまった地肌の部分を見せた。正直、この体調の異変を明らかにすれば同情してもらえるはずだろうという打算がなかったわけではない。しかし義母の口から吐き出されたのは深いため息と冷たい言葉だった。

「はぁ、情けない」

「……へ?」

「だってそうでしょう。私だって手伝いに来てるし、陸人なんて全然手がかからないお利口さんじゃない。それなのに、ストレスで髪が抜けたなんて、母親として情けないにもほどがあるわよ? そんなんでこれから先やってけるのかしら」

「いえ、そうじゃなくて……」

「母乳のことだってそう。母乳をあげるのは母親として当然の役目でしょう? 私はね、陸人のことを思って言ってるのよ。それをストレスだなんて言われたら、なんだか私が悪いみたいじゃない」

「……お義母(かあ)さんが陸人のためを思ってるのは分かってます。でもこれは体質なんですよ。だから、理解をしてほしいんです」

暁子はもう一度ため息をつく。萌はだめだと思った。のれんに腕押しするように、どれほど懸命に思いのたけを伝えても、きっと暁子には響かない。

「私だって、あなたが憎くて言ってるわけじゃないのよ。陸人が心配だからね……」

「はい、分かっています……」

暁子は最後に追い打ちをかけるようにため息をつき、帰っていった。扉がゆっくりと閉まった。萌は玄関に座り込んだ。涙を流す気力すら湧いてこなかった。

間もなく動体検知の照明が消えた。薄暗い玄関はひどく冷たく感じられた。