望んだわけはない「世界金融危機」と「大震災」

そして、希望する大手企業グループの主要企業の1社に就職することができたものの、入社して3年と経たずに「リーマン・ショック(世界金融危機)」を迎え、大規模なリストラが断行された。小野田たちのような社歴の短い若手社員は一律で給与の20%カットが行われ、非正規社員は契約の打ち切り、中堅以上の社員の半数には給与水準が格段と下がる子会社への出向などが命じられた。その結果、社員の退職が相次いだ。小野田が世話になっていた先輩社員も退職し、小野田の帰属意識は霧散した。

「リーマン・ショック」による縮こまるような日々がようやく一段落したと思えた2011年3月、東日本大震災が起こった。自宅に帰る電車が止まってしまい、自宅に向かって歩いて帰るうちに、小野田は会社勤めがつくづく嫌になった。とはいえ、働かないと食べていけない。あれこれ思い悩んだ末に独立色の強い保険の代理店を始めた。

保険や資産運用については大学時代のサークル活動でかじったことがあった。小野田は、自らの決断が価格の上昇や利回りの向上という、確認できる数値に跳ね返る金融サービスの世界は好きだった。銀行や証券会社に就職するつもりはなかったが、さまざまな就職情報を調べる中で一番やってみたいと思えたのが「ファイナンシャルプランナー」という職業だった。日本では独立した業としては成立していなかったが、それに最も近い職業が保険代理店だった。

教育をめぐり、夫婦で掛け違う「親の務め」

小野田が保険代理店を始めた頃、第二次安倍内閣が発足し、「アベノミクス」の株価上昇によって国内の景気も明るくなってきた。小野田はその頃から注目されだしたIFA(独立系ファイナンシャルアドバイザー)をめざして投資信託の販売資格を取得し、保険代理店と兼業することにした。その結果、保険代理店の経営も安定し、やっていく自信が持てるようになった。学生時代に知り合い、その後、交際していた麻美に結婚を申し込むことができた。まもなく悠人が生まれた。そして、悠人の教育を巡って夫婦の考えが大きく異なることを知って小野田は愕然とした。それは……。

学歴にこだわる妻と、自分の経験からのびのび過ごしてほしいと望む夫。下がり続ける息子の成績に、ついには!? 後編【「このままでは“全落ち”!?」「息子がグレたらどうしよう」。中学受験を前に、二転三転した家族の運命】にて、詳細をお届けします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。