小野田健斗(41歳)は、息子・悠人(11歳)の成績表を見て、ため息をついた。妻の麻美(39歳)から成績表を見せられた当初は、夏の成績表よりも明らかにレベルダウンしている内容に怒りが込み上げてきたが、妻からもさんざん絞られたであろう悠人のうつむいた姿を目の前にして何と言ってやればよいのかわからなかった。
自分自身が付属小学校からエスカレーター式に大学まで進学した小野田にとって、中学受験は無縁だった。最初は、親と同じ学校を選ぶ必要もないとお受験を見送ったものの、麻美の強い希望に根負けする形で、悠人の中学受験への準備を始めることになったのだった。それから3年が経過し、いよいよこの冬、悠人の受験が迫っていた。
名門一貫校で感じた「ヨソモノ」扱い
小野田がその小中高大学一貫の学校に小学校から入学したのは、父親の強い希望からだった。父親は技術屋として、そのスキルを認められて社会人としての地位を得ていったが、学閥どころか学歴もなく、その歴史ある財閥系企業の中で出世するほどに疎外感を味わい、砂をかむような会社員人生を送った。
そこで、息子には自分と同じ思いをさせたくないと、国内でも多くの人が一流と認めるその学校に進学させたいと願った。残念ながら長男は受験に失敗し、次男は大学進学時にその学校に入学し、三男である健斗は小学受験を突破することができた。長男、次男で至らなかったことを改善した結果が、健斗の成功につながったと父親は大喜びだった。
ところが、そこで学んだ小野田は学内で「ヨソモノ」として区別されている自分を感じ続けていた。同級生は祖父母の代から、その学校で学んでいるような子供ばかりだった。小野田の知識や学習能力については一目置くような態度だったが、仲間の輪からはことごとく除外されていた。小野田は、そのことを父親に話したものの、父親には「大事なことは卒業することだ」と諭され、長く味気ない学生生活を送った。