相性の悪さは社会人になっても変わらなかった
一方、わが家は転勤族の父と、給食センターでパートをする母と、3歳上の兄の4人家族でした。父は盆暮れくらいしか帰宅せず、家のことや子どものことは全部母に任せっ放し。その頃住んでいた北九州に愛人がいたようです。市役所に勤務する兄は温厚で学校の成績もよく、母のお気に入りでした。私が家を出る2年前には幼なじみの義姉と結婚して甥っ子も生まれていました。
私と母はもともと相性が良くありませんでした。私にひと言の相談や説明もなく、一方的にいろいろなことを決めて押し付けてくる母が許せず、いつも反発ばかりしていました。兄は同じようなことをされても受け入れていたので、母からすれば、私はさぞや扱いにくい子どもだったことでしょう。
特に母の勧める地元の女子高でなく共学の高校に入学してからは母娘げんかが絶えず、間に入って困り切った兄の「しばらく家を離れたら?」というアドバイスで東京の短大への進学を決めたのです。
そのまま東京で就職するつもりでしたが、母は断固として許しませんでした。そして、父の口利きで地元の建設会社の事務職として働き始めたのです。
とはいえ、社会人になっても母との関係性は一向に変わりませんでした。一緒にいるだけで窮屈感を覚え、イライラする。それが前夫との結婚に前のめりになった大きな理由でもありました。
母にしてみれば立派な跡取り息子がいて、孫も生まれたわけですから、私が上京して結婚することも許してもらえるだろうと楽観的に考えていました。けれど、そうは問屋が卸さなかったのです。