家を飛び出して始まった結婚生活も長くは続かない
25年前の地元の祭りの日、兄が甥を連れて義姉の実家に出掛けた後に母と大げんかになり、「お前なんて娘と思わない。今すぐ出ていきなさい」と言われ、「言われなくても出ていく!」と啖呵(たんか)を切って家を飛び出しました。
洋服や化粧品を手当たり次第に入れたキャリーバッグを引きながら、コスモス畑の間の小道を最寄り駅へと急ぎました。遠くに祭囃子の音が聞こえました。
駅から東京の前夫に電話をすると、前夫は相当驚いていましたが、「何とかするから」と言ってくれました。
そのまま前夫のマンションに転がり込み、半年後に結婚。披露宴は義両親の仕事の関係者など300人を招いて盛大に行われましたが、私の親族は誰一人呼びませんでした。
1年後の夏、第1子となる娘の未来が生まれました。その2年後には息子の希にも恵まれましたが、前夫とは結婚15年で別れることになりました。ママ友仲間と始めた喫茶店が軌道に乗って家庭を顧みなくなった私を、夫や義両親が許さなかったからです。
跡取りの希は置いていくように言われ、未来だけ連れて家を出ました。そこから母娘2人の生活が始まりました。
皮肉なことに、未来と私の関係性は、昔の私と母の関係性そのものでした。人とうまく付き合えず、かたくなに自分の意思を押し通そうとする未来の性格は母によく似ていました。
私はそんな未来をずっと持て余してきましたが、未来は大学入学後も一向に家から出ていく気配はなく、今春からは大学院に通っています。
そうした中でこの夏、家を出てからずっと音信不通だった兄から突然手紙が届きました。そこには「母さんが亡くなった。話したいことがあるので一度会わないか」と書いてありました。
●亡くなった母親は内村さんに手紙を残していました。そこに綴られていた溢れんばかりの想いとは……? 後編【「何もしてやれなかった」相性最悪だった母と娘…亡き母親の手紙に綴られていた「意外すぎる本音と後悔」】で詳説します。
※個人が特定されないよう事例を一部変更、再構成しています。