人生を引き受ける覚悟

いつもの居酒屋に武知の笑い声が響く。村尾は面白くない。いら立ちに任せて、運ばれてきたばかりの中ジョッキをあっという間に空にする。

「やけに落ち込んでると思ったらそういうことか」

つい先週の由美子とのいきさつを聞いた武知は、合点がいったのか腕を組んでうなずいている。

「俺は、何か間違ってたのか?」

「別にさ、何が何でもって姿勢で自分の夢を追うのは間違ってないよ。でもな、時代を考えれば、その女の人が言ってることのほうが正しい」

「……俺にとって小説家っていうのは、そんな軽い夢じゃないんだよ」

武知は深く2度うなずく。

「もちろん分かってる。諦める必要もない。でも、お前の夢のために相手を犠牲にしていいわけじゃないだろ?」

「犠牲……」

武知に指摘され、確かにその表現が合ってるなと思った。

「それにその人の言っていた、自分の人生を引き受ける覚悟っていうのは、別に小説家じゃなくても必要なんだろうなって思ったよ。確かに俺は結婚するときも、子どもが生まれたときも、覚悟しなきゃって思ったんだ。こいつらを絶対に幸せにするぞって。月並みな言い方かもしれないけど、自分の幸せが家族の幸せと重なるんだ」

「そんな気持ち、なったことないな……」

村尾はうなだれた。

武知の言う通りであり、それはそのまま由美子の言う通りでもあった。確かに覚悟がなかったのだろう。だから3年も書き続けている小説はいつまでたっても完成せず、なんか違うと言い訳を見つけては賞への応募を先送りにし続けている。あるいは結婚も子育ても、人に押し付けてそのしがらみと苦労のすべてから自分だけが逃れようとしている。

41歳独身。仕事と多少の金はあるが、それだけ。村尾という人間自身は、自分が思っていたよりもずっと空っぽでハリボテのようだった。

ここからだ、と思った。3年も、あるいは41年も、ずっと遠回りしてしまったが、もう一度、ここから全てをやり直そうと思った。

「まぁ、今回のことで学んだんだし、しぶとくやってみろよ。諦めの悪さが“大和縁の介”の持ち味だろ?」

「止めろよ。ペンネームで呼ぶな」

村尾は眉をひそめ、泡が消えかけている武知の中ジョッキを取り上げ、一気に飲み干した。

複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。