柏谷食堂の店内を、実花はお盆を持って動き回っていた。

柏谷食堂は創業50年を超える定食屋で、地元では長年愛され続けている。実花がこの家に嫁いできたときは義両親が切り盛りをしていたが、年齢的な理由もあって、3年前からは夫の良平が2代目として引き継いでいた。

調理場には良平と義父の博、接客は実花と義母の由美でやっている。4人だけで切り盛りをしていることもあって、一番混雑するお昼時は本当に目の回るような忙しさだ。

ピークが過ぎ去り、店を義両親に任せて、実花たちは軽い昼食を取る。テレビでは沖縄の近くで台風が発生しているというニュースを伝えていた。

「台風、こっちには来ないでほしいわ」

実花は誰にいうでもなく、ぽつりとつぶやく。するとそれまで黙ってみそ汁を飲んでいた良平が難しい顔をする。

「台風はもちろんだけど、雨が降ると、お客さんの数が減っちゃうんだよなぁ。これさぁ、どうにかならないかな?」

「雨の日対策をしておけば、うちはもっと売り上げがよくなると思うんだけどね」

良平は本気で柏谷食堂をもっと広めたいと思っている。その思いは付き合っているときから聞かされていた。

良平は昔からこの食堂で育ち、いつか柏谷食堂の跡継ぎになると考えて、料理の腕を磨いていた。実際に良平は常に新メニューを考えていて、その内の幾つかは定番として定着しつつもある。

それでも、売り上げがすごく上がったわけはない。味も値段も創業以来変えずにやってきた柏谷食堂の経営はいつもぎりぎりだ。最近では、マーケティングの勉強やSNSに注力をしようとしていて、実花も一緒に柏谷食堂の名前を広げようと頑張っている最中だった。

「何かさ、雨の日限定のメニューを作るとかどうかな?」

良平の提案に実花は首をかしげる。

「でもさ、朝、天気予報を見てから料理のメニューを変えるのは大変じゃない? しかも新メニューでお客さんを呼ぶのって大変じゃん」

「……まあな。それじゃあ、やっぱり、割引とかにするしかないのかな」

良平は腕を組んで考え込む。割引という手段を使うのは簡単だし、効果もあると思う。しかし、柏谷食堂のような小さな店にとっては、商品の値段を下げるのはとても痛い。

ただでさえ、コロナや世界情勢の影響で物価が上がり続けている。例えば、豚肉は昨年なら、1キロ、650円で仕入れていたが、今は800円になっているのだ。他の食材も軒並み揚がり続けていて、今の値段で提供するのにも四苦八苦している。

「それは、まだ早いわよ。他にきっと何か手があるはずだから」

実花はそう言って、割引案をやんわりと否定した。

短い昼食休憩の間には雨の日対策の答えは出なかった。