夫と出会ったきっかけから
7月の結婚記念日は毎年、結婚年のワインを買ってきて飲むのが実名子たちの過ごし方だった。夕食は利喜の好きなローストビーフ。グラスにワインを注ぎ、ささやかに乾杯をする。
「俺たちもこれで、結婚17年か」
「そうね。長いこと一緒にいるわね」
おいしいワインを飲んで、利喜の顔がわずかに赤らむ。
「俺が財布をすられてなきゃ、結婚できなかったわけだ。あの犯人に感謝しないとな」
利喜の言葉に実名子はクスクスと笑う。
「あのときのあなたの青ざめた顔ったら、今思い出しても笑えてくる」
「当時は必死だったんだよ。本気でこのまま野垂れ死ぬかもしれないと思ったんだから」
話しながら実名子は利喜との出会いを思い返した。実名子が22歳のころ、大学の卒業旅行で友人たちとイギリスに旅行に行った。ロンドン市内を観光していたときに、オロオロとした表情で話しかけてきたのが利喜だった。利喜は単身のバックパッカーで、財布やパスポートをすべてすられていた。英語のままならない彼に代わり、実名子は警察や大使館への連絡をし、さらに日本に帰れるようにお金まで貸した。
帰国後、お金を貸してもらうために会うことになり、それからも連絡を取り合っていた実名子たちは徐々に距離が縮まって結婚にまで至ったのだ。
「母さんにもその話したよな。俺、めちゃくちゃ笑われたの覚えてるわ」
「お義母(かあ)さん、海外旅行に慣れてらっしゃるから、余計に……」
ワインを飲みながら相づちを打っていた実名子は固まった。
出会いの話を春江にしたのは初めてあいさつをしたときのことだった。ひとしきり笑って利喜のうかつさを注意した後、春江は朗らかに笑って実名子に話しかけてきた。
海外旅行の話をした。今まで実名子が行ったことのある国や行きたい国について話をしたんだ。どうして忘れていた。春江が海外旅行が趣味だとあの日に話をしていたのに。
実名子は目を閉じた。まぶたの裏で目尻を落とした春江がこちらに話しかけている。あの日交わした会話を、今はもう一言一句たがわずに思い出すことができた。
「お、おい、どうした?」
慌てた利喜の声に実名子は目を開いた。
「大丈夫か? 突然、泣き出したから驚いたぞ」
利喜に指摘されて実名子は泣いていることに気付く。
「思い出した」
「え?」
「お義母(かあ)さんとの約束、ようやく思い出したの」