清水恵(38歳)は、もう一度最初から計算をし直そうと、1月の給与支給額から電卓に打ち込み始めた。11月までの支給額の合計が既に98万円を超えていた。年収103万円以下にしようとすれば、現在の時給で1日5時間働くと、12月は6日間くらいしか働けないことになってしまう。いつも16日程度はシフトに入っているから、10日以上も他の人にシフトを代わってもらわなければならない。恵は班長にシフト調整のお願いに行く憂鬱(ゆううつ)さに押しつぶされそうだった。この時、さまざまなプレッシャーから、恵は正しい判断ができない状況に陥っていたと考えられる。その時に取った行動が、恵やその家族まで苦しめるきっかけになろうとは……。
恵は、小学校2年生の湊(8歳)と保育園の年長組の楓(6歳)を育てている。湊の所属するサッカークラブは、毎週土日に近隣のサッカーチームと試合があり、保護者は手分けしてその試合の付き添いや軽い食事や飲み物などを用意してサポートする役割を担っていた。最近、楓が近所の結菜ちゃん(6歳)の影響を受けて、クラシックバレエの教室に通いたいと言い出したところで、夫の誠(41歳)と話し合いの最中だった。誠は、社員50人ほどの不動産会社に勤める営業マンで、昨年課長に昇進してから、帰宅時間が少しずつ遅くなっていた。決算期の3月や9月には月半ばから帰宅時間は22時を過ぎるのが当たり前になった。
そして、誠の帰りが遅くなるほどに、子供たちのことは恵に任されるようになった。実際に、誠は土日も仕事なので湊のサッカークラブの付き添いは最初から恵ひとりで行っていた。楓のバレエ教室をどうするのかということも、火曜と水曜の休みの日に相談しようとしているのに、誠が疲れていて夫婦でゆっくり話し合う機会がなかった。