相続争いを防いだ母の機転

4月から春日さんは、娘を保育園に預け、仕事に復帰している。認知症で要介護1だった父親は、1月からグループホームに入所した。

「正直、両親の介護でやりがいや喜びを得たことはありません。でも、母が最期に自宅に戻れて、「帰ってこられるなんて信じられない」と涙目で喜んでくれたことだけはうれしかったです。育児と介護の両立だったからこそ、時間的に大変なこともありましたが、娘の存在に救われたことも事実でした」

春日さんの場合、突然始まった介護に翻弄されてしまったのは、第一子出産直後だったことや一人っ子だったこと、両親がまだ60代と比較的若かったことも要因としてあるだろう。

春日さんの母親は、自分の公正証書遺言を作成した時に、父親の分の公正証書遺言の作成も父親とともに進めてくれていた。

父親の遺言の内容は、「すべての財産を異母兄2名で2分の1ずつにする」「ただし、葬儀の喪主は娘が務める」「自家用車は娘に相続する」となっている。

「父は散財してきた人生なので、財産はほとんどありません。年金では施設費も不足しているので、それをわずかな貯蓄から月数万補填し、いずれ不足すれば私が負担することになるでしょう。私は、母が残してくれた土地と家さえあれば父の遺産はいらないと母に伝えていたので、この内容になっています。兄たちは公正証書遺言があることを知りません。父自身ももう、認知症なので内容どころか作ったことさえ覚えていません」

母親としては、「もっと早くがんだと気付いていれば、もっと長生きできたのに。かわいい孫の成長を見守っていられたのに」という無念な気持ちがあったはずだ。

しかし、自分の体がもう長くは保たないと理解していたのか、痛む体に鞭打って公正証書遺言の作成を急いだ。もし遺言がなかったら、春日さんは両親の介護に翻弄されたうえ、住む家さえ失うことになっていたかもしれない。

最期まで娘の幸せを一番に考えて行動した母親に脱帽する。