母の死

結局母親は2022年9月、自分が生まれ育った家で亡くなった。8月に68歳の誕生日を迎えたばかりだった。

肝臓に転移した腫瘍が大きくなり、胆管をふさいだせいで黄疸が出、抗がん剤治療を5クール終えたところで抗がん剤治療はストップ。腫瘍を取り除く内視鏡手術を受けたが、再び腫瘍が大きくなり、再手術に。しかし術後、痛みによるせん妄で口から入れていた管を自力で抜いてしまったため、手術がなかったことになってしまう。

春日さんは、一度目の手術を受けた後、「痛くてつらかった」と言っていた母親の言葉を思い出し、「母が強く望まない限り、もう手術はやめてください。痛がるのはもう見たくない」と言い、母親も「もういやだ」と答えたため、再々手術はしないことになった。

春日さんが自宅での緩和ケアを希望すると、翌日、24時間体制で在宅看護する訪問医療の医師や看護師など7名のチームが結成された。

母親はベッドに横たわったまま帰宅。ゆっくりだが話すことはできた母親は、春日さんの娘の世話要員として来てくれていた義母に、「迷惑かけちゃってごめんなさいね」と気遣い、名前を呼びながら孫の手を取った。

そこからは、母親が「痛い」と言えば、医療用麻薬の点滴のスイッチを押し、「起こして」と言えば、ベッドを起こし、「下げて」と言えば、ベッドを下げ、「暑い」と言えば、氷や水を口に含ませた。

その日は義母が娘を寝かしつけくれたので、春日さんはずっと母親のそばに居られた。春日さんは母親のベッドの横に布団を敷き、横になったが、眠れなかった。

母親が家に戻ってから3日目の午前1時頃、母親の呼吸が荒くなり、春日さんは酸素の量を増やした。3時頃、苦しそうにうわごとを繰り返し始めた。

6時15分頃、いつしか5分ほど気を失っていた春日さんがはっと目を覚ますと、母親の呼吸が止まっているように感じ、寝室で娘と寝ていた夫を起こす。夫とリビングに戻ると、母親は息を吹き返し、夫が「大丈夫だ」と言った瞬間、再び呼吸が止まった。6時20分頃のことだった。

3階で寝ていた父親を呼びに行くと、医師と看護師の到着を待った。