介護を通じて変化した義母との関係性

ある日、義母は鈴木さんたちに、「今までのことは悪かった。これからもこの家で私を看てほしい」と頭を下げた。

「当時、義きょうだいたちは、義母の通帳を勝手に持ち出して、内緒でお金を下ろしていました。義母の身体の心配よりも、お金の心配ばかりしているように見えました。私は義母がかわいそうになって、この40年間、本当に嫌な思いをさせられたけれど、『これからの何年間かで、私が私のために、納得いく介護をしてあげたい』と決意し、それを家族に伝えました」

すると鈴木さんの家族は、「おかんはそう言うと思ったよ」と言って鈴木さんの考えを尊重し、それぞれができることを協力してくれた。

2022年6月。義母は入退院を繰り返すようになり、8月には介助なしでは生活できない状態に。2023年4月には『敗血症』を起こした。

鈴木さんは毎日面会に行き、義母といろいろな話をした。主治医に確認し、義母が食べたいと言うものを持って行くと、今まであまり感情を表に出さなかった義母が、「美味しい! 美味しい!」とうれしそうに食べ、いつの間にか鈴木さんに、「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えられるようになっていた。

「亡くなる前日は、私の身体を心配する言葉をかけてくれて、私が帰る時には、『また明日来てな〜、楽しみにしとる。気をつけて帰るんよ』と言ってくれました」

鈴木さんの誠実さが起こした奇跡

2023年4月、義母は息を引きとった。

「正直、義母の在宅介護はしんどかったですが、在宅介護だったおかげで、家族みんなで協力でき、あんなに苦手だった義母と笑い合えるようになりました。最初は嫌だった下のお世話も、やってみると大丈夫でした。今は、義母がかわいい義母に変わってくれたから、最期まで介護できたのだと思い、感謝しています」

鈴木さんはこう言うが、筆者は、鈴木さんや鈴木さんの家族の誠実さが、義母のかたくなな心を解したのだと考える。

約40年も意地悪をされ続けてきた相手を献身的に介護し、看取ることまでできる人はなかなかいない。ましてや、それまで一度も感謝の言葉を口にしなかったような相手だ。奇跡に近いことではないだろうか。

しかし、鈴木さんの戦いはこれで終わりではなく、むしろ始まりと言っても過言ではなかった。