隆が選んだ新しい一歩
朝、花枝は目覚ましが鳴るよりも早く目を覚ました。寝室のカーテンの隙間からは、まだ白んだばかりの空がのぞいている。布団から出るのがためらわれる冷気が部屋を包んでいたが、それでも今日は、ゆっくりと体を起こした。
隆の2度目のフリースクール体験入学の日だった。
先週、隆と一緒に見学に行き、緊張した様子のまま最初の体験を終えたあの日。帰り道の車中、隆はほとんど何も話さなかったが、「思ったより静かだったね」とぽつりと漏らした。その一言が、花枝には何よりも手応えのように思えた。
(今日はどうだろう……)
キッチンに降りて、手早く朝食の支度を始める。トーストが焼ける匂いと目玉焼きのじゅうという音が響く。スープカップにお湯を注ぎながら、階段の方に意識を向けていたとき、上から小さな足音が聞こえた。
「……今日、俺1人で行くから」
不意に背後からかけられた声に、花枝は思わず振り返った。
隆が、パーカーのフードをかぶり、カバンを肩にかけて立っている。
「え?」
とっさに聞き返してしまった花枝に、隆はもう一度繰り返した。
「送らなくていい。1人で行くから」
その言葉を理解した瞬間、胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
「……わかった。気をつけてね」
「ん」
「ほら、朝ごはん食べちゃって」
隆は黙って朝食を済ませると、靴を履き、玄関のドアを静かに開けた。
「いってらっしゃい」
「……きます」
数秒後、扉が閉まる音が響き、それきり家は静けさに包まれた。
花枝はその場に立ち尽くし、しばらく玄関の方を見つめていた。緊張と少しの戸惑い、そして確かな誇らしさが、胸の奥で静かに交差していた。
深く息を吐き、キッチンの窓辺に歩み寄る。朝日が、雲の切れ間からやわらかく差し込み、向かいの屋根の上に白い光を落としていた。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
