朝、玄関の扉が閉まる音が響いた。

「……いってらっしゃい」

長年の習慣で声をかけるが、今日も返事はない。だが、それが今の「普通」だと、佳代は受け入れることにしている。

息子の淳也は17歳、この春高校3年生になった。夫の単身赴任が始まって2年、家には佳代と淳也のふたりきり。かつて笑い声の絶えなかった戸建てのリビングは、まるで時が止まったかのように静かだ。唯一顔を合わせる食事の時間でさえ、会話らしい会話はなく、せいぜい「おかわり、あるよ」と佳代が言って、「うん」と淳也がうなずく程度。

母親思いだった優しい息子が変わったのは、高1の秋。小学生のころから、ずっと続けていた野球をやめたのだ。原因は怪我。大会直前で肘を壊して、リハビリもしたが、思うようには回復しなかった。聞けば、少し前から不調を感じていたものの、周囲から寄せられる期待が大きいこともあって、自分からは言い出せなかったらしい。

「もういい……俺、野球辞めるから」

あのときの彼の背中を、佳代は今でも忘れられない。グローブなどの野球用品はもちろん、プレイ中の様子を撮影したカメラ、何年も欠かさずつけていた野球日誌に至るまで、すべて物置に押し込んだ。まるで野球に関するものは何も見たくないと言わんばかりに。