悔いが残らないように母の介護をしたい
そして数か月後、お母さんは再び脳梗塞で倒れました。救急車で病院に向かったのですが、危篤でした。玲子さんもお父さんもお母さんの死を覚悟したそうですが、なんとか命を繋ぐことができました。でも、お母さんは意識のない状態になってしまったそうです。お医者さんからも、この先長くはないと告げられたこともあり、自宅で介護をすることにしました。
自宅での本格的な介護。今回もお父さんと二人で介護するはずでしたが、お父さんは仕事で家を空けがちです。
朝から晩まで仕事をして、家にいる時間がありません。そのため玲子さんがひとりで介護をすることになりました。意思疎通のできないお母さんと2人、長い一日を過ごしていました。
当時玲子さんは資格試験の勉強をしていました。でもお母さんの介護でそれどころではありません。毎日のことで疲れ果てていますから、本を開いても、内容がほとんど頭に入ってきません。何より、お母さんのお世話をして、お母さんが亡くなった後でも「悔いが残らないようにしたい」と思っていました。
お母さんは呼吸が乱れることもあり、ドキドキとした不安の中、出口の見えない日々を過ごす玲子さん。こうして月日は過ぎていきました。当然、医療費はかかりますから、財産を処分しながらの生活が続きました。
他の人に頼ることもできないために、玲子さんはますます疲弊していました。そして、あっという間に17年の月日が過ぎていったのです。玲子さんは22歳から39歳になってしまいました。そして、お母さんが亡くなりました。
●母の介護を終え、41歳になった玲子さんは結婚相談所を訪れます。理想の相手は見つかるのでしょうか。後編【時間が止まったままの“41歳の女子大生”…思わず結婚相談所が嘆いた「母に捧げた17年間」の代償】にて詳しく紹介します。
※プライバシー保護のため、内容を一部脚色しています。
