母の実家で極貧生活が始まる

当時、菊美さんは実家で母と2人で暮らしをしていました。駄菓子屋を営んでいた菊美さんと低年金の菊美さんの母の生活は決して楽ではありませんでした。夕飯にはイワシが頻繁に出てきたそうですが、そのイワシは、家の近くの海岸に大量に打ち上げられたもので、典夫さんが取ってきたものでした。

また、典夫さんは当時の貧困ぶりを「夜、4人並んで寝ていたけど、寝ていたら星が見えたよ」と話してくれました。家の屋根は杉の皮の屋根だったと言います。その後、トタン屋根に張り替えたようですが、杉の皮の屋根の家がどういう家なのか、想像しがたいものです。貧しい生活だったものの、典夫さんは、父親を許せず、裕福な父親との暮らしに戻りたいとは思わなかったと言います。

ところが、父親は子どもと一緒に暮らしたいと、今度は父親が子どもを引き取りに菊美さんの家にやってきました。妹が父親を選択し、父親の家に引き取られました。典夫さんは今まで妹とずっと一緒でしたから妹と離れるのはよほど寂しかったようで、大泣きしたそうです。その後、典夫さんは妹を父親のもとから連れ戻しました。そして、ここから星の見える家での4人暮らしが始まったのです。

菊美さんは、のちに市役所の職員になりました。今でこそ公務員は安定した比較的高い給料の職業として認識されていますが、バブル期の公務員、しかも、田舎の公務員の給料は民間企業よりも低く、さらに、菊美さん1人の稼ぎで4人を養っていたわけですから、生活に余裕がなかったことに間違いはないでしょう。

昭和60年ごろの話ですが、友達との誕生日パーティーは夢のまた夢。当時はビデオが一般家庭に普及し始めた頃ですが、典夫さんにとってビデオは友達の家で見るものだったそうです。