「あんまり詮索しないで」深まる母娘の溝

玄関の扉が静かに開く音で、洋子はリビングの時計を見上げた。夜の9時を回っている。

「ただいま」廊下から届く声は、少し疲れを含んでいるように聞こえた。

「おかえり。晩ごはん、どうする?」キッチンから声をかけると、夏美は上着を脱ぎながら首を振った。

「バイト先で食べてきたから、いい」そう言って足早に自室へ向かう後ろ姿に洋子はため息をついた。最近はこのパターンばかりだ。以前は、遅く帰ってきても「今日はこんなことがあってね」とか「友だちとこんな話をしたよ」と話してくれたのに、今は会話がすぐ途切れる。洋子は湯気を立てる鍋を火から下ろし、ため息をついた。

――どうしてこうなったのだろう。

翌日の夕食時、洋子は意を決して切り出した。「大学の友達とはうまくやってるの?」

夏美は箸を止めて、「普通」とだけ答える。

「バイト先では? 嫌な人はいない?」

「別に」

そっけない返事が続くたびに、洋子の胸の奥で不安が少しずつふくらんだ。

「ねえ、何かあったなら言って。お母さん、夏美のことが心配なの」

「……何もないよ。ただ、そういうの、あんまり詮索しないでほしい」目を合わせずに言われたその一言が、思いのほか心に刺さった。洋子は口をつぐみ、テーブルの上の箸置きばかり見つめてしまった。どうしても距離が縮まらない。声をかければかけるほど、溝が深まっていくような感覚だけが残った。