社食の野菜炒め定食を食べ終えた美弥子はスマホの画面を見ていた。向かいに座る佳織が不思議そうに話しかけてくる。
「最近ちょこちょこスマホ見てるよね? 何かあったの?」
「え? そう?」
「美弥子がスマホを気にしてんのが珍しいなって思って」
「ああ、最近マッチングアプリに登録したの」
佳織が驚いた顔をする。
「え? そうなの? 前に離婚したときにもう懲りたとか言ってなかった?」
佳織の指摘は間違ってない。確かに美弥子はそのとき言ったことや抱いた感情まではっきりと覚えている。
3年前に美弥子は長年連れ添った夫と離婚をした。原因は金銭面だ。
きっかけは、夫が会社をリストラされたこと。夫は転職活動をしたが全く仕事が見つからず、しばらく美弥子が家計を支えるという状況が続いた。もちろんそれだけならまだ良かった。だが、長引く転職活動に心が折れた夫は自暴自棄になり、昼間から飲んだくれるようになった。あきれた美弥子が三くだり半を突きつけたのだ。
「どういう心境の変化よ?」
「将来を考えるとやっぱり1人は不安だなって思ったのよ。だからいい人がいれば結婚しておいてもいいかなって」
ふーん、と既婚者の佳織は興味なさそうな相づちを打つ。マッチングアプリで本当に婚約者が見つかると思っているかというと美弥子自身も半信半疑だ。それでも何か行動を起こさないと一生このままのような気がして、取りあえず相手の検索をし続けた。
年収3000万の男性とマッチング
それから何人かの男性と会って食事をしたものの、正直ぱっとしなかった。しかし今回マッチングした男性には少しだけ期待していた。
相手の名前は内海悟。年齢は1つ上の42歳で、美弥子と同じバツイチだ。
見た目が好みというわけではないが、悟は会社を経営している。プロフィル画像には優雅な暮らしぶりの写真がいくつも載せられていた。会社の経営状況は安定しているらしく、年収も3000万以上と書いてある。
美弥子の目に、悟の年収はとても魅力的なものに映った。もちろんお金がすべてではないが、前の夫との離婚から、経済力は欠かすことのできない要素だと痛感していたのだ。
いや、むしろ生活が安定しているのならば、多少性格が合わなかったとしても我慢できるとすら思う。40代にもなって、若いときのように恋愛をするわけではない。一時の感情の盛り上がりよりも、この先の長い人生をどう過ごしていくのかが大切だ。そして、そこにはお金が不可欠だった。
美弥子は待ち合わせ場所の駅前で、インカメを使いながら自分の身だしなみを確認する。待ち合わせ時間の5分前に、1人の男性に声をかけられた。
「あの、美弥子さんですか?」
目の前に現れたのはプロフィル画像に写っていたそのままの男だった。服はシンプルだったが、本当のお金持ちはこれみよがしに高級ブランド品を身に着けたりしないと、どこかで聞いたことがあったので気にはならなかった。
「はい、悟さんですよね?」
「ええ、そうです」
悟は自信満々の笑みをこちらに向けてきた。爽やかなその風貌からは成功者という感じが伝わってきた。
「えっと、お店はどっちに行けばいいんですかね?」
「あ、こっちです。私が案内しますので」
悟の案で、美弥子が店選びをすることになっていた。男性側が決めてくれるとばかり思っていた美弥子はやや面食らったが、きっと仕事が忙しいのだろうと思って受け入れていた。
「あの、悟さんのような方が行くような店ではないと思うんですけど……」
「いやいや、そんなの気にしなくていいですよ。美弥子さんが普段、どんなお店に行ってるかとか知りたいですし。別に俺は高ければいいとかそんな感じで思ってないですから。高架下のちょっと汚い飲み屋とか、最高です」
悟はにこやかに話す。
ひょっとすると、いきなり高級店に連れて行くと美弥子が緊張してしまうと気を遣ってくれたのかもしれない。そんな悟の優しさを感じながら美弥子は予約をしておいたイタリアンのお店に入る。