「ウソつき夫」を損切りした妻の決断

それから半月ほどたち、栄志は3カ月の出張に出発していった。美紀子にとってはまたとないチャンスだった。

まず、正社員で採用してくれる会社を探した。パートと家事の合間を縫い、もちろん月に一度程度家に帰ってくる夫には決して悟られないよう注意を払いながら何社かの面接を受けた。40代で職探しをするのは簡単ではなかったが、理解のある会社もあり、営業事務として雇ってくれる会社を見つけて働き始めた。

達也が反対すればあきらめようとも思っていたが、「好きにしなよ。父さんの作る飯絶対まずいから、俺は母さんについてくね」とのことで、拍子抜けするほどあっさり認めてくれたので準備はスムーズだった。

新しい家も探した。達也が転校しなくて済むよう、学区外ながらぎりぎり今の中学に通える範囲で家を見つけ、契約を進めた。

そして、夫が出張を終えて帰ってくる日の前日、美紀子は達也を連れて家を出た。3人で住んでいた元の家には、美紀子や達也の私物の代わりに、離婚届が1枚残された。

翌日、新居で荷ほどきをしていると思った通り栄志から電話が掛かってくる。

「な、なんだ、これは⁉  離婚届って。というか、どこにいるんだ⁉」

「離婚届は見てくれたのね。それじゃサインして役所に出しておいてもらえる?」

「ふざけるなよ! なんで離婚なんてしないといけないんだ⁉」

ひっくり返った栄志の声なんて聞いたことがなかった。それだけ動揺しているということだろう。

「ボーナスの件、うそをついてたでしょ。もちろん理由はそれだけじゃないけど、いろいろ見つめ直したの。もうあなたとはやっていけないなって」

「あれはちょっと急な出費があって……!」

「ふーん、急な出費?」

栄志が何度か言葉を飲み込む音が聞こえてきた。

「なによ、それは……?」

「い、いろいろあるんだよ……」

「だからそのいろいろを言ってよ」

「とにかくいろいろだよ……!」

栄志には答えるつもりがないらしい。だが美紀子からしても、もうどうでもいいことだった。これ以上話しても無駄だろう。

「まあもうなんでもいいけど。もう決めたことだから、離婚届、お願いね」

「いやお願いねって、もっと話し合いとかあるだろ」

「あなたがそれ言う?  秘密主義で何にも教えてくれないじゃない。都合が悪くなれば不機嫌になって、それ以上話ができないようにするじゃない。私、ちゃんと知らなかったけど、そういうの、モラハラって言うんだって」

「何言ってんだよ。だいたい仕事は? 達也だってどうやって育てるんだ」

「それならご心配なく、ちゃんと働いてるし、達也も納得してくれてる」

電話口の向こう側で、栄志が言葉に詰まっているのがよく分かった。

つけ入る隙を残さないよう、準備したのだ。もう栄志が何をしようと無駄だった。

「細かいことは弁護士を通してやり取りしましょ。それじゃ、そろそろ夕飯の準備しないといけないから切るね」

美紀子はそう告げるや電話を切った。完全に離婚が決まったと思ったら胸がすっとした。

「母さん、おなか空いた~」

聞こえた声に振り返ると、段ボールのかげで洋服を引っ張り出していた達也の姿があった。

「うん。それじゃ今日は何か出前を頼もうか。達也が好きなもの何でも頼んで良いよ」

「マジ⁉」

達也はうれしそうに笑う。この屈託のない笑顔が曇らないようにしないといけないと美紀子は心に誓った。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。