義母の世話をしなければならず

退院後の生活は、想像していた以上に過酷だった。

朝は4時半に起きて、義母の排泄の補助から始まる。食事を作り、薬を飲ませ、午後には少しだけ日向ぼっこをさせる。夕方になれば、また排泄と着替え、食事。夜は足の位置を直し、痛み止めを枕元に置いて眠りにつく。

そんな日々を、晴子は一日一日、消化していった。義母の気の強さは相変わらずで、少しでも気を抜けば、不快だの遅いだのと怒鳴られた。

「何度言ったらわかるの。足の角度が違うって言ってるでしょ!」

「ごめんなさい、すぐ直しますね」

晴子は謝るしかなかった。でも、言い返そうとは思わなかった。

あれだけ晴子に辛く当たり続けていた義母が、今は自力でベッドから下りることすらできない。

どれだけ歯がゆいだろう。

どれだけ情けない気持ちでいるだろう。

だからこそ晴子は、黙って介護を続けた。

口ごたえせず、怒りもぶつけず、ただ粛々と。

「朝ですよ。起きましょうか」

「……とっくに起きてるわよ、腰が痛くて眠れなかったの」

「そうですか。湿布、替えますね。お湯も沸かしておきました」

そんな会話の繰り返しだった。

他人から見れば、ひどく理不尽な話かもしれない。

でも、これが晴子の選んだ道だった。

あの事故の日、ひとりカレーを食べながら感じた悔しさも怒りも、今はもうどこか遠いところへ押し流されていた。