まさかの申し出
「俺が、背負っていきます」
木波さんの言葉に、全員が一瞬黙った。
「そんな……悪いです」
「悪くなんかないですよ。登山に誘ったのは俺ですからね。佐藤さんを安全に帰す責任があります」
まっすぐな眼差しに、輝子は胸が詰まった。木波さんの判断は正しい。頭が朦朧とした状態でも、そう確信できた。
「……お願いします」
小さな声でそう言うと、木波さんは黙って頷き、こちらに背を向けた。
誰かに背負われるなど、久しぶりの経験だった。ましてや相手は、まだ付き合いの短い同僚の男性なのだ。普段なら激しい羞恥を覚える状況だが、そのとき輝子の中にあったのは不思議な安心感だった。
土の匂い、雨の音、ひんやりとした風。
時間が静かに流れていく中で、輝子は、ゆっくりと落ち着きを取り戻していった。
「佐藤さん、なんで無理して来たのか聞いてもいいですか? その足、痛めたのは、さっきじゃないですよね?」
背中越しに聞こえた木波さんの声に、輝子は少し考えてから答えた。
「……私、焦ってたんです。30代って、もっと充実してるものだと思ってたから」
「へえ、充実してるって、どんなふうに?」
「たとえば結婚とか子どもとか、独身なら趣味とか……生きがいっていうのかな? みんな何かしらコレ、ってものがあるでしょ。でも、私には何もない。一応仕事はしてるけど、ただそれだけ」
「それがいけないことだって、誰が決めたんです?」
「……それは……自分、かもしれないです」
そこで木波さんは、少し足を止めて、呼吸を整えた。