財布の主とは

最初に指定されたホテルのカフェまで行くには交通費が足りなかったのだが、洋幸がそのことを伝えると桜井は快く洋幸の最寄駅まで来てくれた。

とはいえ、1杯500円のコーヒーなど飲めるはずもない洋幸は、さすがに桜井が出してくれるだろうと祈りながら店に向かう。自動ドアをくぐると、奥の席にひとりの男性が座っているのが見えた。

年の頃は50代半ば、シックなジャケットに身を包み、落ち着いた雰囲気をまとっている。視線が合うと、彼はにこりと微笑んで立ち上がった。

「井上さんですね?」

「あ、はい」

緊張気味にそう答えると、桜井は深く頭を下げた。

「改めまして桜井です。このたびは、本当に助かりました」

「あ、いえ……」

桜井は洋幸に名刺を差し出す、もちろん返すものがない洋幸は気まずさを感じながら、桜井の向かいに腰を下ろす。

「井上さんは、音楽をされているんですよね?」

「えっ、はい、一応やってますが……」

いきなりの質問に驚きながら答えると、桜井さんは意外な言葉を口にした。

「いや、実は財布を取りに行ったときに警官からギターケースを背負った青年が届

けてくれたと教えてもらったんです。こう見えて私も昔はアーティスト志望でね。これも何かの縁だと思って、直接お会いする機会をもらったんですよ」

「へえ、そうだったんですか……桜井さんも音楽を……」

「まあ、私の場合はアーティストとして実を結ぶことはなかったんですけどね。井上さんは、具体的にはどんな活動をされてるんですか?」

「今は自作の曲をSNSに投稿したり、路上ライブをしたりしてます。昔はバンドもやってたんですけど、みんなでわいわいやるのがあんま合わなくて……」

すると、桜井は興味深そうにうなずいた。