家族関係は冷え切っていた
「ただいま、母さん」
出迎えたのは大樹の母、瑠璃子だった。瑠璃子は望海たち2人に冷たい目線を向ける。歓迎されないだろうということは、前もって想像できていた。実家と大樹の関係がよくないことは聞いていた。だがここまで露骨に態度に出してくるものなのかと、望海は驚かずにいられなかった。
しかし、動揺している場合ではない。
「は、初めまして、山口望海といいます。この度は……」
「そういうのはいいから、早く中に入りなさい。こんな玄関先でみっともない」
何度も練習した最初のあいさつを途中で切られ、瑠璃子はさっさと部屋に入ってしまう。あっけにとられる望海の肩を大樹の手が軽くもみほぐす。
「ホントごめん。中に入って」
望海はうなずき、大樹の実家に足を踏み入れた。
案内されたリビングもちょっとしたホールのように広かった。もちろん窓からは都内の景色を一望することができる。さらに室内には必要最低限の家具しか置かれておらず、ほこりのひとつも見えない。
望海と大樹は並んでダイニングチェアに腰を下ろす。向かい合う瑠璃子は家事代行の女性にコーヒーを入れるよう言いつける。本来ならば手伝ったほうがいいのだろうが、仕事でやってきている人間を手伝うのもなんだかおかしな気がするし、どうすればいいか分からない。腰を上げようかどうしようかと迷っているうちに、コーヒーが運ばれてくる。
「今日、父さんと兄さんは?」
リビングを落ち着きなく見回していた大樹が口を開く。コーヒーを口に含んだ瑠璃子は当たり前のように答えた。
「仕事よ。顧客の企業が取締役会を開くことになったから、その打ち合わせや準備をしないといけなくってね」
「……ああそう」
大樹は声を落としてうなずいた。父と兄は、家族の結婚のあいさつよりも仕事を優先したということだ。
父親は弁護士をしていて、兄も弁護士をしている。もっとさかのぼれば、おじいさんも弁護士をしていたというので、大樹の家はいわゆる弁護士家系だった。しかし大樹は弁護士になることができず、印刷会社でごく一般的なサラリーマン勤めをしている。だから家に居場所がなかったと聞いたことがあった。2人が仕事を優先していることが、関係性が冷え切っていることをよく表していた。