そんな収入でよく結婚しようと思ったわね
「それで、話っていうのは、結婚のことでしょ?」
瑠璃子は自ら話を切り出してきた。そこにはさっさと終わらせてほしいという思いが透けて見えるような気がする。
「ああ、俺、こちらにいる山口望海さんと結婚をすることにしたから、今日はそのあいさつに来たんだよ」
望海は深く頭を下げる。
「大樹さんとは2年前からおつきあいをさせていただいています。至らない私ではありますが、大樹さんと温かい家庭を築いていきたいと思っています。大樹さんのご両親、お兄さまとも末永いお付き合いができれば幸いです」
なんとか練習してきた通りに言い終えて、望海は顔を上げた。瑠璃子は全く感情の読めない表情でこちらを見ている。
「望海さん、あなた、仕事は何をしているの?」
「えっと、私は保育士です」
「年収は?」
ぶしつけな質問に大樹が割って入る。
「ちょっと、何だよそれ? 今は関係ないだろ?」
「いいえ、2人で生活をしていくのだから、それは大事なことでしょ?」
望海は大樹をいさめて、口を開く。
「大体300万くらいです」
望海の年収を、瑠璃子は鼻で笑う。
「そんな収入でよく結婚しようと思ったわね? それとも、お金のことは大樹に頼ろうってことかしら?」
「いや、別にそういうつもりでは……結婚したあとも、働き続けようと思ってます」
「働き続けようって……300万ぽっちじゃ時間の無駄じゃない。あなた、弁護士の年収がどれくらいか知ってる? どれだけ若い弁護士でも800万くらいは稼げるの。夫も息子も、その倍以上、稼いでるわ」
望海はなんと返事をしていいのか分からなかった。別に保育士である自分の給料がいいと思ったことなどないが、同時に弁護士よりも劣った仕事だと思ったこともない。
「おい、失礼だろ。それに、あの2人がいくら稼いでるとか、そんな話、今は関係ないだろ」
黙り込む望海をかばうように、大樹が声を荒らげる。このままではただのケンカになってしまうと思った望海は、出会いがしらに渡しそびれていた手土産の存在を思い出す。
「あ、あの、こちら、つまらないものですけど、もしよろしければ……」
手土産を受け取った瑠璃子の表情が初めて明るくなる。
「あら、これ、もしかしてワイン?」
「はい、ワインがお好きだと、大樹さんから伺いまして」
紙袋から箱を取り出し、中身を確認した瑠璃子が一瞬、眉間にしわを寄せたのを望海は見逃さなかった。
「あぁ、ボージョレ・ヌーボーね……」
「はい、解禁されたばかりですし、諸説ありますが、秋の収穫を祝うお祭りで振る舞われていたものらしいので、今回のようなめでたい日にぴったりかと……」
望海は義母に少しでも気に入られるならと事前に調べてきた知識をここぞとばかりに披露する。しかし瑠璃子は箱にしまうと、紙袋ごと望海に突き返してきた。
「悪いけど、そんなものは受け取れないわ。流行のワインなんて、私は飲まないのよ。おまけに新物でしょ? ワインってのは寝かせれば寝かせるだけおいしくなるのは知ってる? 私が好きなワインは熟成されたビンテージよ。こんな安っぽいワインじゃないわ」
瑠璃子はすぐに謝罪する。
「も、申し訳ありませんでした。今度また別のものを持ってきます……」
「結構よ。ワインを見る目なら、あなたよりも私のほうが上でしょうから。わざわざあなたに選んでもらわなくたってねぇ」
瑠璃子は望海を見て、おかしそうに目を細めた。
「そうやってはやり物に乗っかって楽しんでるのは庶民らしくていいんだけど、私を巻き込まないでくれるとありがたいわ」
瑠璃子から向けられた強烈な悪意に、望海はもう訳が分からず胸を締め付けられた。幸せのあいさつをしに来たはずなのに、どうしてこんなにも邪見にされなければいけないのだろうか。
望海に分かったのは、このあいさつが全て失敗しているということだけだった。
●あり得ないほどの敵意を向けてくる義母。だが思いもよらない望海の一言が義母にカウンターを食らわせる結果となる……。後編【「どうしてそこまで言えるのだろうと…」将来の義実家は弁護士一族、モンスター義母を憤慨させた「嫁の致命的な一言」】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。