初めて知った妻の願い
旅館で目を覚ました大吾は2泊の予定を止めて、家に帰ることにした。
満子と行くことのできなかった旅行をやってみたのだが、気晴らしになることはなく、むしろ後悔をかみしめるだけだった。
家についた大吾は旅行かばんを置いた。やけに疲れると思ったら、満子の着替えまで持って行ったからか、とようやく気付く。膨れた革製の手提げかばんを見て、思わず鼻で笑った。そんなことをして、誰かに哀れんでほしかったのか。これ見よがしに遺影を座席に置けば、周りから同情を買えると思っていたのか。自分の浅はかさを悲しく思った。
時刻はまだ昼だった。1日が長かった。このまま何もしないでいては気が狂いそうで、大吾は家の掃除を始めた。そこにやけになっている気持ちがなかったと言えばウソになる。いつ死んでもいいように――そんな考えが大吾を突き動かしていた。
最初に寝室へ向かった。最近はろくに掃除していなかったから空気はほこりっぽい。どこから手をつけようかと考えたとき、目線が鏡台に止まる。嫁入り道具として持ってきた鏡台。いつも満子が化粧をしていた鏡台。満子が死んでからというのもずっと埃(ほこり)かぶっている鏡台から掃除しようと大吾は決める。それは罪滅ぼしのつもりなのかもしれなかった。
布巾を水でぬらし、なでるように台を拭いていく。鏡を拭いていく。引き出しを開けて、入れっぱなしになっている化粧道具やらを取り出す。なかに隠れるようにしまわれていた古いノートが目にとまった。大吾は思わずそのノートを手に取った。それは満子の日記帳だった。そこには、満子は日々の思っていたことを書いてあった。
小さい由紀子がつかまり立ちをしたこと。健が運動会の徒競走で2番だったこと。仕事一筋の大吾をねぎらう気持ち。なかには、大吾と子供たちの関係が思わしくないことへの心配も書かれていた。どうすればまた4人で楽しく過ごせるだろうか。どうすればまた家族4人で楽しく食卓を囲めるだろうか。
満子は大吾と子供たちの関係修復を願っていた。
「……ごめんな、……ごめんな」
ノートのページをめくりながら、大吾はただ謝った。視界はどんどんにじんでいって、文字はほとんど読めなかった。
満子の願いがかなうことはなかった。それどころか満子が死んでから、もう取り返しがつかないほどに関係は悪くなってしまった。
全て自分の責任だった。