「内海課長、ちょっとよろしいでしょうか?」
名前を呼ばれた佳保は、名字の下につけられた役職に高揚感を覚えた。
「どうかしたの?」
「今度、商談に行く沢柳商事さんへ見せる提案書の中身を確認していただきたいんです」
部下の喜多村繭香は少し緊張した顔で書類を出してきた。佳保は笑顔で受け取り、目を通す。
佳保は現在、OA機器を取り扱う商社で働いている。この4月から念願の課長昇進を果たし、気を引き締めて仕事をしていた。
とはいえ年齢は47歳で、決して出世が早いわけではない。
いまだに男性優位が抜けきらない会社なので、出世がどうしても遅くなってしまった。それでも、出世を目指して仕事に励んでいたので、この辞令を聞いたときは飛び上がりたいほどうれしかった。もちろん、これで満足しているわけじゃない。いずれは部長、さらにその上の重役を目指している。
「そうね……。たしか、沢柳商事さんのコピー機は10年近く使われているのよね」
「はい、しかも安価なモデルを購入されていたそうなんです」
「購入はやっぱりリスクもあるしね、リースを提案して、あと将来的に書類は全て電子化するほうが管理が楽だということをもっとアピールしたほうがいいわ。うちの複合機はスキャン機能も充実してて、暗号化もしっかりしているから、情報流出もしませんってところも押しておいて。じゃあ、その点を抑えて、資料を作り直してくれる? 終わったらまたチェックするから」
佳保がそう言うと、繭香は困ったような顔をする。
「あ、あの、実はこれから外出しないといけなくて……」
「あれ、今日って商談のアポイント入ってたっけ?」
「それが、部長からお世話になっている取引先の専務が定年退職をされるということで、そのプレゼントを選ぶように頼まれてて……」
「それって喜多村さんも知ってる方なの?」
「いいえ。でもこういうのは女性が選んだ方がいいだろうと部長が……」
思わず出かかったため息をのみ込んで、佳保はすぐに笑顔をつくる。
「じゃあ、資料のほうは私がやっておくわ。終わったらあなたのパソコンに送っておくから。それでチェックしてね」
「いえ、でも……」
「いいのよ。気にしないで」
「……すいません、お願いします」
繭香は深く頭を下げてデスクに戻っていった。
部下の指導も課長として大事な仕事だ。自分の手柄を立てるだけで、出世できる段階はもう終わったのだと自分に言い聞かせる。
慌ただしくオフィスを出て行く繭香の背中を佳保は見送った。
女だからといって、あんな雑用を平気で押しつけるような会社だ。何の評価にもつながらないような仕事をやらされて、男と競わされる。こんな不平等の中、女は戦っていかないといけない。課長という地位だって、いつ振り落とされるか分かったものではない。
とにかく気を抜かず、仕事をし続けないといけなかった。