天国と地獄
離婚が決まると、約4年前に建てたばかりの家は売却することになり、出ていかなければならなくなる。
隣の実家に移るという選択肢もあったが、母親との同居はどうしても避けたかった。悩んだ末に山口さんは、ボロボロの小さなアパートを借りて、親子3人で暮らし始めた。
「実家の隣に住んでいた頃は、母は暇さえあればわが家に来ていたので、常に監視されている気分でした。でも、母と離れてみると、生活が一変しました。とにかく楽で、呼吸が苦しくないのです。貧乏でしたが、子どもとのかけがえのない毎日が本当に幸せでした」
一方で、離婚後の山口さんをさまざまな試練が待ち受けていた。
持ち家を売却したところ、母子扶養手当と児童手当が止められてしまったのだ。
土地は山口さん名義、建物は夫名義で、建物のみ住宅ローンを組んで購入しており、売却して入ったお金は、全て残っていた住宅ローンの返済に消えた。それなのに、土地が山口さん名義だったため、収入が増えたとみなされたのだ。
急いで役所に掛け合ったが、窓口の担当者には、「お気持ちは分かりますが、こればかりはどうしようもありません。仕事を減らして生活保護の申請をするか、ご実家があるなら帰られては?」と提案されてしまう。
山口さんは結婚を機に金融系の会社を退職。父親が亡くなった後、母親が経営する会社を継ぐために戻ってきていた兄に誘われ、山口さんも母親が経営する会社を手伝っていた。
「実家に戻れば24時間365日母と一緒で、一生母の奴隷として生きることが確定し、私の精神が崩壊することは明らかでした。きっと、もっといろいろな人に相談すれば他の制度やサポートがあったのだと思いますが、当時の私は1人で抱え込み、離婚も計画性が必要だということを思い知りながら、がむしゃらに働きました……」
山口さんは母親の会社の仕事の他に、母親には内緒で日払いの夜のバイトを始めた。昼の仕事が終わるのが18時。その後夕食の準備をし、子どもたちと一緒に食べた後、20時から通常は23時、忙しいときは深夜1時まで働いた。
「長男が高学年だったので、長女のことを頼んで働いていました。翌年長女が小学校に上がったのですが、ランドセルは入学式の2カ月前に半額セールで購入しました。長女に申し訳ない気持ちでいっぱいでした……」