良好だった父親との関係

共に教師をしていた父と母は互いに再婚で、私は母の連れ子でした。

母が父と結婚したのは私が小学5年生の時でしたが、穏やかで優しい父は私のことを実の娘のようにかわいがり、私の好きな絵本をたくさん買ってくれたり、当時田舎ではまだ珍しかったチェロを買って習わせてくれたりしました。

私が東京の音楽大学に進学したいと言い出した時も、現実主義者の母が「プロの演奏家になんてなれるわけがないんだから、音楽を学びたいなら教育学部に行きなさい」と大反対したにのに対し、「人生は一度きりなんだし、奈保子のやりたいことをやらせてあげればいいじゃないか」と背中を押してくれました。

大学3年生の時に母が交通事故で急死した後も、父の私に対する態度や配慮は一切変わりませんでした。おかげで私は音大のチェロ科を無事に卒業し、都内の楽器店に就職することができました。そしてその楽器店を客として度々訪れていたクラシック好きな外資系銀行勤務の主人と出会い、結婚したのです。

とはいえ近年、父とはそれほど交流があったわけではありません。子供たちが小さい頃は年に1度家族で帰省していましたが、介護施設に入居した翌年にコロナの感染が拡大して以降は面会も制限され、時々手紙のやり取りをする程度になっていました。

父の訃報を受けた日は取るものも取りあえず新幹線に飛び乗って帰郷し、介護施設の居室で亡きがらに対面しました。腎臓を患っていた父の死に顔は幾分かむくんでいるように見えましたが、とても穏やかな表情をしていました。

空き家にしていた実家に連れて帰ろうとしたところ、施設の方から、父は自身の葬儀について全て手配を済ませていることを聞かされました。遺体は自宅から車で数分の斎場に安置し、通夜は行わず、2日後に火葬だけのシンプルな葬儀(直葬)を執り行うとのことでした。