1人で抱え込む限界
夜10時過ぎ。
リビングのテレビは消され、部屋には照明の白い光と紙のこすれる音だけが漂っていた。花枝はダイニングテーブルに家計簿と封筒を広げ、銀行の明細とにらめっこしていた。
「塾も……どうするか考えないと……」
集団授業の学習塾の月謝は、払えない額ではないが安くもない。不登校が始まった当初はまだ通っていたが、しだいに足が遠のくようになった。今月に入ってからは一度も出席していない。ただ、もし辞めてしまえば、隆にとって外の世界と繋がっているかすかな糸が切れてしまうような気がして、なかなか辞めさせる決断はできなかった。
花枝は首を回し、ソファの背もたれにかけていた手提げファイルを取った。中には住宅ローンの返済予定表、光熱費の明細、そして夫の単身赴任にかかる生活費の記録が並んでいる。
決して家計は破綻しているわけではない。夫の収入も安定しているし、自分自身もやりくりは得意なほうだ。だが、目下の悩みごとが思考の余白を奪っていく。
「食費を少し抑えるか……いや、そこじゃないよね」
独り言のように呟いて、ペンを置いた。
いま揺れているのは、家計ではなく、生活の土台そのものだ。学校に行かない。塾にも行かない。会話も成立しない。家の中にいるのに、日常のどこにも息子が見当たらない気がする。そして、自分はそれに気づいていながら、何も変えられずに日々を過ごしている。
「……このままじゃ、ダメだ」
小さな声が漏れた。
誰に向けたものでもない。それでも、口に出すことで初めて輪郭を得た思いだった。
花枝はスマートフォンを手に取り、しばらく画面を見つめたあと、大きく息を吸って、吐いた。
「……話そう」
独りで抱えるのは、限界だった。
息子の不登校のことも、自分の無力感も。
●不登校の息子・隆を何とか学校へ行かせようとするあまり、1人で空回りしてしまう花枝。これまで相談できずにいた、単身赴任の夫にようやく打ち明ける決意をする…… 後編【不登校の息子を追い詰めていた母親がたどり着いた答え…「押しつけない、急かさない、でも手を離さない」覚悟】にて、詳細をお伝えします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
