息子に届かない母の声

花枝は洗濯物を干し終えて室内に戻り、テーブルに残された空の食器を見つけると、ためらいがちに階段を上がった。2階の廊下は静まり返っていて、気配らしい気配も感じられない。足音がやけに響く気がした。隆の部屋の前に立つと、花枝は少しだけ呼吸を整えた。

「ねえ、隆……ちょっと話せる?」

しばらく沈黙が続く。返事はない。それでも、ドアの向こうに息づく気配は確かにある。花枝はドアに向けて、穏やかな声で言葉を継いだ。

「隆、聞いて。お母さん、無理に学校行けなんて言わない。でもね、ただ……どうして行けないのか、あなたの気持ちを知りたいの。話してくれないと、お母さん何にも分からないし……隆だって、本当はまた学校に行ったほうがいいっていうのは分かってるんでしょ……?」

慎重に選んだつもりの言葉だった。だが、ドアの向こうから返ってきたのは、低くくぐもった声だった。

「……だから、そういうのが無理なんだよ!」

一拍遅れて、声がはっきりと怒鳴りに変わった。

「学校には行かないって言ってるだろ! なんでわかんないんだよ!」

花枝は反射的に一歩引いた。心臓がどくんと音を立てる。

怒鳴られるのは苦手だ。それがたとえ我が子の声でも、胸の奥がざわついた。

「……ごめんね」

それ以上、何も言えなかった。

口の中に石を詰められたようで、息が詰まる。言葉を重ねれば重ねるほど、怒りや拒絶を引き出してしまう気がした。

花枝は静かにその場を離れ、階段を下りた。足元が頼りなく、数段目で少しバランスを崩しかけた。リビングに戻り、ソファに腰を下ろすと、背もたれに頭を預けたまましばらく動けなかった。

支えたいのに届かない。

そのもどかしさだけが、胸の奥でくすぶっている。

どこで間違えたのだろうと自問する。

正論では隆の心を動かせないとわかっていながら、言葉の選び方をまた誤った。そう思うと、自分を責めずにはいられなかった。

「……夕飯の買い物行かないとね」

窓の外では、近所の小学生たちが元気に下校している声が聞こえた。

花枝はぎゅっときつく目を閉じ、やがてのろのろと立ち上がった。