こむぎと触れ合うだけの娘

「ただいま」

散歩を終えて家に戻ると、久実はまだテーブルに向かったままだった。

祐子が玄関でこむぎの足を拭いてリードを外すと、こむぎは一目散に水皿へ向かい、舌を忙しく動かした。水面が落ち着く前に、今度は久実の足元へ回り込む。

「おかえり」

久実が小さく笑って手を伸ばすと、こむぎは鼻先を押しつけ、尻尾を床に打った。祐子はその様子を眺めながら、ため息を飲み込み、気をそらすように手を動かした。キッチンで水皿を替え、トイレシートをまとめ、床に落ちたプリントを拾う。

「久実、足元だけでも寄せておいて。踏みそう」

「うん、分かった」

返事だけは達者だが、片付けが苦手なのは相変わらず。油断するとすぐ床にまでものが散らかり、やがてあれがないこれがないと騒ぎ出す。

祐子はキッチンに立ち、鍋に火を入れて温め直す。まな板に野菜を並べたところで、玄関の鍵が回る音がした。夫の直哉が帰宅し、上着を脱ぎながら顔だけ覗かせる。

「ただいま」

「おかえり。早かったね」

「ああ」

直哉はそれだけ言い、寝室へ引っ込んだ。祐子は包丁を握り直す。鍋から湯気が立ちのぼり、換気扇の低い唸りがそれを吸い上げていった。