玄関の鍵を回した瞬間、恵太は肩から力が抜けていくのを感じた。

2年半、外国語の飛び交う会議に追われ、赴任先ではオフィスと住まいを往復するだけの毎日だった。ガラス張りの会議室、乾いた空調、深夜に鳴る着信。たまに寂しさが胸をかすめても、翌朝には新たな予定表で上書きした。

その甲斐あって帰国と同時に部長に昇進した。嬉しいというより、安堵の気持ちが大きい。ようやく努力が報われる。それが正直なところだ。

「ただいま」

扉を開けると、玄関の灯りも靴箱も見慣れた定位置のままだ。

靴を揃え、スーツケースを端に寄せる。ポケットのスマホが震え、未読の件名が並んだ。思わず指が伸びかけたが、画面は見ないまましまい直す。ここで仕事を開いたら、帰ってきた実感が薄れる気がした。

「帰ったぞ」

再び声をかけると返事が一拍遅れて返ってくる。

「お帰りなさい」

台所の奥から、妻の千賀子が駆け寄るでもなく、エプロンの紐を結び直しながら言う。40代半ばになっても、穏やかで柔和な印象は変わらない。恵太の知る妻そのものだったが、その声に、期待していたほどの温度感はなかった。

期待外れの出迎えに湧いてくる不満を飲み下しながら上着を脱ぎ、特に意味もなくリビングに目をやった恵太は、その瞬間に思わず固まった。