コンプライアンス部の事実確認
呼び出しのメールが来たのは、水曜の午前だった。件名は「コンプライアンス部ヒアリングのお願い」。ただのアンケートかと思って開いたが、「部署の忘年会について事実確認をしたい」という文面を見て、ヒアリングかと静かに息を呑んだ。
指定の時間、小さな会議室に入ると、4人掛けのテーブルの向こうに、見慣れないスーツ姿の2人が座っている。事務的な挨拶のあと、呼び出し理由について改めて説明された。
「本日は、忘年会の出欠確認に関するやりとりについて、事実関係を確認させていただきます。現時点で、染川課長の行為を一方的に問題視しているわけではありませんので」
丁寧な言葉のわりに、声は固い。
まず、山下に参加を促した経緯を細かく聞かれた。欠席を見て予定を尋ね、「飲み会で周りとの関係を築くのも悪くない」と言ったこと。強く参加を求めるニュアンスがなかったと言い切れないこと。覚えているかぎりを、そのまま答える。
続いて、「出ないと不利になると言っていないか」「評価に響くと受け取られないか」といった問いが、形を変えながら繰り返される。答えるたび、キーボードの音がカタカタと記録に変わっていく。
「部署の飲み会が、人事評価や案件に影響する運用をされてはいませんか」
「部署として、公式にそういう運用をしている事実はありません」
そう答えながら、「公式に」と付け足した自分の言葉に、内心で苦笑する。
飲みの席で仕事の話をしないわけではない。ただ、それを運用と呼ぶかどうかだ。
「飲み会の場で出た話が、そのまま仕事の依頼につながったケースはありますか」
「雑談の延長で『じゃあ頼む』と言ったことはあったかもしれません。ただ、それだけで決めたという意識はありません」
そう口にしながら、飲み会で本社の管理職に気に入られた夜がよぎる。あの一言が自分の流れを変えたのは確かだ。だが、今ここで持ち出す話ではないだろうと口をつぐむ。
「ありがとうございました。それでは、通常業務にお戻りいただいて構いません」
定型の説明を受けたあと、軽く頭を下げ合って部屋を出た。会議室のドアを開けると、空気がやけに冷たく感じた。フロアに戻る途中、キーボードの音や電話のベルが耳に入る。だが、慣れ親しんだ仕事場で、自分の居場所だけが、薄く輪郭を失い始めているような気がした。
●忘年会を欠席するという山下に参加を促した染川。その行為がコンプライアンス部の調査対象となってしまう。価値観の違いを突き付けられ、自分の居場所が薄れていく感覚を抱く…… 後編【「飲み会に出なかったから不利益を受けた」パワハラ認定された50代課長が知った、去年の忘年会で起きていた"真実"】にて、詳細をお伝えします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
