何気ない会話が紡ぐ和解

「……なんか、話してるうちに、“ほんとに今やることかな? ”って思っちゃった。今のままの自分で、もうちょっと試してみたくなった」

幸江の言葉に紀子は驚いたが、何も言わなかった。ただ、そのまま受け止める。背筋を伸ばして歩く娘の横顔は、以前より晴れやかに見えた。

   ◇

梅雨明けの知らせが天気予報で流れたのは、クリニックのカウンセリングから数日後だった。

その日、午前中から陽ざしが強く、空気に夏の気配が混じり始めていた。

「今日のお昼、家で食べるから」

珍しく幸江の方からそう言い出した。紀子は少し驚きながらも、「じゃあ、冷やし中華でもしようか」と提案した。暑さの中でさっぱりしたものが欲しくなる、そんな季節の気分だった。

「できたよー」

2人は向かい合って食卓についた。会話は決して多くない。テレビもつけず、窓を開け放したダイニングに、セミの鳴き声と風の音が静かに流れ込んでくる。

「また、矯正かけようと思ってるの? 」

紀子がふと尋ねた。幸江は、麺をすすりながら首を軽く傾けた。

「どうしようかなーって感じ。結構楽なんだよね、これ」

「まあ、梅雨時はね。あんた、小さい頃から雨の日になると髪の毛が爆発してたもんね」

「ほんと、それ言わないで。小学校の卒アル、ほんとにひどいから」

2人とも、ふっと笑った。その笑いが自然にこぼれたのは、いつ以来だっただろうか。紀子は胸の奥が静かにゆるむのを感じた。

「……ごちそうさま」

「はい、お粗末さま」

午後になり、幸江は外出の準備を始めた。2階の階段をバタバタと駆け下りる音。相変わらず落ち着きのない足音に思わず笑っていると、幸江がキッチンに戻ってきた。

「ママ、友達と会ってくるね。夕食はいらないから」

「わかった。遅くなるようなら連絡してね」

そう言いながら紀子は、幸江を追って玄関へ向かう。

何でもない母娘の会話。それだけで、少し胸の奥がじんわりと温かくなる。

「……その髪、やっぱり似合ってるわね」

唐突に出た言葉に、幸江はぴたりと足を止めた。そしてちらりとこちらを振り返り、照れくさそうに歯を見せた。

「……ありがと。いってきます」

「いってらっしゃい」

ドアが開き、明るい光が玄関先に差し込む。風が吹き抜け、真っすぐに伸びた幸江の黒髪が陽ざしに揺れていた。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。