限界を超えた春樹
音のする方へ目を向けると、深く眉間に皺が刻まれた春樹の顔があった。風呂に入っていたはずの春樹はいつの間にか戻って来ていた。
見たこともない春樹の顔に達子の涙が止まる。春樹は弥生達を睨みつけていた。
「いい加減にしろよ……! あんたら、言って良いことと悪いことの区別も付かないのか……⁉ 亡くなった人を悪く言うなんてクズのやることだぞ……!」
春樹の剣幕に弥生は戸惑う。
「ど、どうしたのよ? 私はあなたのことを心配して……」
「黙れよ。収入も学歴も関係ないだろ。 達子は優しくて温かみのある人なんだ! そんな達子だから俺は一緒にいたいと思ったんだよ! それを、学歴や収入なんて下らない物差しで判断するなよ!」
春樹が怒ると、苛立ったように愛香が反論してくる。
「いきなり大声出さないでよ! 今まであんただって黙って聞いてたじゃない⁉」
「それは達子が揉めてほしくないから言い返さないでくれってお願いしてたからだ! 達子の頼みじゃなかったら俺はもっと早くあんたらにブチ切れてたよ!」
弥生たちが驚きの目で達子を見る。達子は鼻を啜りながら説明をする。
「私なんかのせいで、皆さんが仲悪くなるのは嫌だったので……」
達子の説明を聞き、弥生達は押し黙る。
すると春樹がすっと立ち上がり、達子に声をかける。
「もう、帰ろう。ここにいても気分が悪いだけだ」
「え? でも……」
春樹の提案に達子は戸惑う。
「大丈夫。俺、酒も飲んでないし問題ないよ」
そう言って春樹は達子の手を持って立たせる。
「ちょっと待ちなさいよ!」
弥生は慌てて春樹を止めようとするが、春樹は無視して居間を出て行った。達子も春樹の言葉に従って部屋に戻り荷物をまとめた。
そのまま家を出ようとすると居間から弥生が怒ったような顔でこちらを見ていたが、春樹はそんな弥生に冷めた目を向けた。
「母さんのそういう、人を馬鹿にして人の上に立とうとするところ、俺ずっと嫌いだったんだよね。まあ今さらこんなことを言っても直るとは思わないけど」
春樹の指摘に弥生は唇を噛んだだけで何も反論してこなかった。
そのまま達子たちは車に乗り込み実家を後にする。しばらく車を走らせた後に春樹が達子に声をかけてきた。
「達子、ごめんな。辛い気持ちにさせちゃって」
「……ううん、いいの。でも私のせいで喧嘩しちゃって大丈夫なの?」
春樹は前を見ながら答える。
「いいんだ。もう俺もあの人達の相手するのは限界だったし。これからは距離を置こうと思ってる」
春樹の言葉に達子は驚きながらも、嬉しさがあった。
「……そう」
「達子を馬鹿にするような人とは一緒にいられないよ」
春樹の言葉は力強かった。
父を亡くして以来、理不尽なことが起こっても何も抗わず耐えるしかないのだと思っていた。でも今は春樹という味方がいてくれる。それだけでこの先どんなことがあっても立ち向かって行けそうな気がした。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。