お金では買えなかった体験
翌朝、窓を開けると、台風がうそのように去った空が広がっていた。
深い青と白い雲がくっきりと境を描き、湿った空気の中に潮の香りが混じっている。庭では、昨夜の雨の名残が、葉の先からぽとり、ぽとりと落ちていた。
玄関先には、おばあさん一家が総出で見送りに出てくれていた。璃子はおばあさんの孫と抱き合い、なかなか離れようとしない。「また遊びに来てね」と泣きながら言われ、「うん、絶対!」と璃子も涙ぐみながら返す。その姿に、志保は胸がじんわりと熱くなった。
大志はおばあさんの夫としっかり握手を交わしていた。
「本当に助かりました。いつか必ず、今度はちゃんと計画して来ます」
「計画通りにならないほうが、面白いこともあるさ」
そんな言葉に、大志の口元が緩む。
志保もおばあさんの手を何度も握り、お礼を繰り返した。
「昨日は、まるで家族みたいに迎えてくれて……本当にありがとうございます」
「家族だよ。来た人は、みんな家族になるさ」
その答えに、また胸の奥があたたかくなる。
港へ向かう道すがら、ぬれた石畳が陽光を反射してまぶしく輝いていた。フェリーに乗り込むと、遠くまで透き通っている穏やかな海が見えた。
船が離岸する瞬間、おばあさん一家が手を振る姿が目に浮かび、志保は何度も振り返った。
「最高の旅行だったね」
隣で大志がつぶやき、志保は自然にうなずいた。
「うん、ほんとに。どうなるかと思ったけど、台風も悪くなかった」
心の底からそう思っていた。
お金では買えない人の温かさや、予期せぬ出来事がくれる宝物を、志保はこの旅で確かに受け取ったのだ。
璃子は志保の肩にもたれ、すやすやと眠っている。まだ小さなその手には、昨夜子どもたちと一緒に遊んだゲーム機が握られている。
「志保、また来よう」
「うん、また絶対来ようね」
青い海のまぶしい煌めきに、2人の笑顔が照らされている。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。