家で過ごす時間が退屈に

「どうしたの? そんな難しい顔をして」

妻の愛子がお茶を持ってきてくれた。

「愛子、何かやりたいことはないか?」

「突然なに? 急に聞かれても困るわ」

「退職して時間はたっぷりあるんだ。2人で何かやりたいこととかないのか?」

「そう言われてもねえ。私は今の暮らしに満足してるわ。今度、新しくレモンバームを育ててみようと思ってるの。ハーブティーにしたら美味しいってテレビで紹介されててね」

愛子はそう言って声を弾ませる。

専業主婦だった愛子の趣味はガーデニングや編み物といったお金の掛からないものだ。慎ましい性格の愛子のおかげで貯蓄が捗ったというところはあるものの、現状では歯がゆかった。

「いや、何かあるだろ? それこそテレビで見てて、いいなと思った趣味とかさ」

「……そんなことを言われてもねぇ。本当に今で十分幸せだから」

大した返事が返ってこないことに将範は苛立つ。

これがあと何十年も続いていくことかと思うと早くも嫌気が差していた。

学生時代の友人の中には定年を迎えた後も別の仕事をしているというやつもいる。将範はそんなことをしている意味が分からなかったが、今ならその気持ちも理解できる。

家にいても退屈なのだ。だったらまだ何かしら仕事を与えてもらったほうが張り合いがあるということだろう。

そう思うと将範は無性に腹立たしく思えた。

何のために仕事を頑張ってきたんだ。もしこんな老後を迎えると分かっていたら、わざわざ無理して貯金などせず好きに使えば良かった。

そんな将範の胸中はつゆ知らず、愛子は朗らかな笑みを向けてくる。

「あなたも何か育ててみる? 一緒にホームセンターに行って種を買いましょうよ」

「要らん。そんなものには興味ない」

将範はきっぱりと言い切って立ち上がり、リビングを出るとそのままサンダルを履いて家を出た。