勝負が始まった

栄子は移動した近所の公園で、優と将吾とキャッチボールをしていた。栄子のグローブは将吾が用意していたもので、少し離れたところでは同じく将吾が用意したバットを構えて勇悟が素振りをしている。

優は言われた通りにきちんと練習していたのか、取るほうはまだしも、投げ方のほうが様になっているように見えた。ボールも将吾の胸の高さまできちんと届いていた。

「本当に、私もやるんですよね?」

「そりゃあもちろん。家族行事ってやつだね」

将吾の話では栄子も守備につくのだという。降って湧いた責任重大な役目に、栄子はさっきからずっと緊張しっぱなしだった。

「よし、それじゃあ始めるか」

将吾は公園の地面に足でホームベースとピッチャープレートを描いた。優に投球練習してみろと言ったあとで、栄子にも優の左側に立っておくよう指示がくる。

ホームベースの後ろでしゃがんだ将吾に向けて、優がボールを投げる。やまなりのボールは将吾の頭を越え、その後ろの草むらに飛び込んでいった。

「なあ、兄さん。フォアボールとかデッドボールだったらどっちの勝ちになるんだ?」

「まあ、そうなったらお前の勝ちだけど、そんな勝ち方で満足するのか?」

将吾に言われ、勇悟は全力で素振りをした。プラスチックのバッドで軽いからか、鋭い風切り音は勇悟をさながらすさまじい強打者のように見せた。

栄子はそんな兄弟のやりとりを眺めながら、将吾は勇悟以上に弁が立つなと思った。もし彼が弁護士や検事になっていたら、さぞ活躍したに違いない。

「そんじゃ、プレイボール!」

将吾が合図を出し、ホームにしゃがんだ。栄子はどうすればいいか分からないまま、ひとまず上半身を屈めるようにして構えを取る。

「優、がんばれ!」

大きく振りかぶって、優が1球目を投げた。ボールは山なりの軌道でバットを構えている勇悟のもとへ向かう。勇悟は思い切りバットを振り抜き、ボールはストライクゾーンを大きく逸れ、腰を浮かせた将吾のグローブに収まった。

「ストライーク!」

「おい、あんなのバットが届くわけないだろ」

「なら見送れよ。振らなきゃボールだ」

将吾が優に返球する。グローブの先に当たったボールが転がって、栄子の足元に転がってくる。がんばって。栄子は祈りを込めながら、優にボールを手渡す。だが優の表情は勝負のことなんて度外視に、父親と野球をしていることを楽しんでいるように見えた。

「よーし、じゃあ2球目だ。優、練習通り落ち着いて。俺のグローブよく見てなげろよ」

将吾がグローブを構える。再び振りかぶった優がボールを投げる。今度もやはり山なりのボールだが、ノーバウンドで届いたボールはおおよそ将吾が構えていた通りにグローブへと収まった。勇悟はバットを構えたままだった。

「ストライクー、ツー!」

「おい、ちょっとまて。何で」

「そりゃストライクを振らなかったらそうなるだろ。優、追い込んだぞー!」
将吾の返球を今度は優もきっちりと捕球する。まだ駄々をこねている勇悟のことを「お父さん、行くよー!」と優が急かす。