やらせて何になる?
食事を終えて勇悟がようやくひと息つくのを待って、栄子は勇悟に話しかけた。
「優がね今、最近、高校野球にハマってるのよ。ほら、ちょうどこの時期、春の甲子園やってるでしょう」
「へえ」
「それでね、優が野球やりたいって言っててさ」
勇悟は眉間に皺を寄せた。
「本当に優がやりたいと言ったのか?」
「そうなの。私も驚いてるの。どちらかと言うと家で大人しく遊んでいるのが好きな子だったから、まさか野球をやりたいって言うなんてさ。でも仲のいい子が野球チームに入ってるみたいだし、安心かなと思って」
「その口ぶりだと賛成みたいだな」
「……うん、そうだね。だって優が何かをやりたいなんて言ったことなかったでしょ? いつも受け身というか、あまり意思を表に出さない子だったから」
「優はプロ野球選手になりたいのか?」
「いや、そういうわけじゃないとは思うけど」
勇悟の表情は険しかった。
「なら野球なんてやらせて何になる?」
「何になるっていうか……」
栄子は返事に困って口ごもった。
「野球なんてやらせて勉強が疎かになってしまったらどうする?」
「……やっぱり優も法律家になってほしいの?」
「……別に強要するつもりはない。将来は優がやりたいようにやればいいとは思ってる。だが、だとしても野球なんて時間の無駄だろう。野球でプロになれるのは本気で目指している人間の、そのなかでもほんの一握りなんだよ。でも勉強は違う。勉強は努力をすれば色々な選択肢を広げることができる。だったら将来のために勉強をさせたほうがいいに決まっている」
勇悟の語気が鋭くなっている。検事の喋り方だ、と栄子は思った。だが毎日目を輝かせてテレビの前で高校球児のプレーを見ている優を思えば、簡単に引き下がることはできないとも思った。
「……でもね、運動をさせるのは悪いことじゃないと思うのよ。学びで言えば、チームワークだって学べるでしょ。お金だってそこまでかからないわ。月謝も3000円で、道具なんかも最初は貸してくれるみたいだし。実際に始めるにして道具とかは5万くらいで全部揃えられるみたいなのよ。もし大変そうなら辞めればいいだけで、ものは試しってことでさ……」
「ダメだ。そんな時間はないんだよ。中学受験だってあるんだし、今から準備を始めないといけないのに、野球なんてやってる暇はないだろ。成績だってよくないんだ。まずは勉強。優にもそう伝えておけ」
勇悟は素早く話をまとめると、シャワーを浴びてくると席を立ってしまった。