私は冷たくないよ
「ほら、手続きとか面倒だろうし、俺から弁護士さんに報告して、書類をすぐに用意してもらうよ」
だから、益実は優の言葉に首を横に振った。
「……え? 自分でやるの?」
「ううん、放棄をしないってこと」
「は? ……何でだよ?」
「母さんからの最後の形見だから。ちゃんと受け取って置こうと思って」
優は口を開けたまま目を伏せた。
「本気で言ってるの? だってそんな金、必要ないだろ……?」
「お金じゃなくて気持ち。30年以上、母さんが私のために貯金してくれていたものだから。それを放棄するほど私は冷たくないよ」
「いや、でもさ……」
優は唇を結んで苦々しい表情になる。
「母さんの気持ちだから。これは受け取らせてもらうわ。手続きもこっちでちゃんとやるから安心して」
益実は話を終わらせようとすると、優は苦々しい顔で口を開く。
「……実はさ、春から長男が私立の中学に通うんだよ。だからまあ、何ていうか、色々と入り用でさ」
優はそこで言葉を切った。先ほどから優がこちらの顔色をうかがっていたのは知っている。善子が残したお金が欲しくてたまらなかったのだ。
「それはできないよ。そもそも、他にもいろいろ相続するんでしょ? これは母さんが私に残したものだから、どうするかは自分で考える」
益実は席を立つ。唖然としている優を置いて、店を後にした。
その後手続きを済ませて相続した300万は税金を差し引いて270万ほどにまで減ったが、どちらにせよ、益実にとっては特に必要のないお金ではあった。
贅沢をしてみることも考えた。だがどうせ使うなら、善子の気持ちに報いるような使い方がいいだろうと思った。だから益実は母のお金を全て、ひとり親世帯を支援する基金に寄付することにした。
こんなたらればに意味はないかもしれないが、もし母に1人で子どもたちを育てていけるだけの経済力があったなら、益実と善子の関係はここまでこじれていなかったのかもしれなかった。
もう、自分のような子どもが、あるいは善子のような母親が、苦しい思いをしなくて済むように。そう願いを込めて。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。