<前編のあらすじ>
創志(38歳)はマッチングアプリで、ようやく運命の人と思える結子(36歳)と出会った。お互い普通の家庭で育ったこともあり、価値観や話がよくあったことも決め手だった。
義実家へ結婚のあいさつへ向かうと、結子の家は地方で弁当屋を営む自営業で、結婚するならゆくゆくは店を継いでほしいと頼まれる。創志は今の仕事にこだわりもなかったが、自分の両親の介護のことを考えると、東京を離れることにやや抵抗があった。しかし両親が快く送り出してくれたこともあり、晴れて結子と結婚した。
結婚して間もなく、義父が配達中に転倒し腰を痛めてしまい長時間の立ち仕事が出来なくなった。創志は予定より早く仕事を辞め、早々に結子の実家の家業を継ぐことになってしまった。
●前編:「娘と一緒になるなら」 婚活アプリで結婚を決めた30代男性が“将来の義実家”で告げられた「あり得ない結婚の条件」
「跡取りが来てくれた」
結子とともに義実家に身を寄せてから、創志の生活は一変した。昼間は弁当屋の仕事に従事し、夜は調理師免許取得に向けて勉強漬けの日々。長年オフィスワークで、運動不足が常だった創志の身体には、台所に立って動き回るという久しぶりの肉体労働がひどく堪えた。
材料の発注、予約注文の電話対応、常連客への配達――。
調理以外の作業だけでも、想像以上に覚えることが多く、毎日が失敗と戸惑いの連続だった。特に配達は、慣れない土地に引っ越してきたばかりの創志にとって、難易度の高い仕事だった。
「創志くーん! ちょっと配達行ってきてくれるー?」
「はーい! 今行きます! この住所って……タバコ屋の裏でいいんでしたっけ?」
電話注文を受けた義母や結子から声がかかるたび、創志はちょっとした緊張感に襲われた。記憶力をテストされている気分になるのだ。
「ううん、それは別の常連さん。木村さんは公民館の方だよ。ほら、大きな犬を飼ってる……」
「あー! そうでした。いつも間違えるんだよなぁ……」
何度も心が折れかけた創志だったが、店で働き始めて3カ月ほどたったころから、少しずつやりがいを感じるようになった。
おそらく人との距離感が近く、お客さんの生の声が聞けることが良い方向に影響したのだろう。
義両親の弁当屋には、毎日多くの客が訪れ、「ありがとう」「頑張れよ、2代目」と言葉をかけてくれる。店頭に立つ義母が常連客が来るたびに「跡取りが来てくれた」とうれしそうに話すため、創志は瞬く間に認知されることになった。
顔を見て直接投げかけられる一言は、創志にとっては新鮮で、これまでの仕事では得られなかった充実感を感じさせてくれた。
コルセットと鎮痛剤を常用し、だましだまし台所で鍋を振るう義父の姿を見ながら、創志は早く1人前にならなければという使命感を燃やしていた。