総額600万円もの負債を抱えていた

弁当屋の見習いになってから約1年後。

通信教育で働きながら勉強を続けた創志は無事に調理師免許を取得し、台所にも立たせてもらえるようになったころ、驚くべき事実が発覚した。

なんと義両親の店には多額の借金があり、経営は最悪な状態にあったのだ。

地元住民に親しまれ、一見繁盛しているように見えた弁当屋だったが、実際は何年も前から赤字が続いていた。原因は材料費が高騰しているにも関わらず、昔ながらの設定価格を守って弁当を提供し続けていたこと。経営権の譲渡にあたって、義父から決算書を見せてもらった創志はがくぜんとして言葉を失った。

そこに記されていたのは、総額600万円もの負債。

義実家の店がここまで厳しい状況に追い込まれていることを、創志はこれまで全く知らなかったわけだが、それもそのはずだった。義両親も結子も、誰一人としてその重大な事実を創志に伝えようとしなかったのだ。

重苦しい空気が流れる居間の畳の上で、創志は彼ら3人と相対していた。

「どうして今まで黙っていたんですか? 借金があるなんて僕は聞いてませんよ」

創志は込みあがってくる怒りと不信感を飲み込みながら、努めて冷静に尋ねた。義両親は互いに顔を見合わせ、結子は気まずそうに視線をそらす。

「すまない。借金があることが分かったら、店を継いでもらえないだろうと思ったものだから……」

「そりゃそうですよ。こんな状態で経営を続けるなんて無謀すぎます。こんなんじゃ経営どころじゃないですよ」

正直なところ、店は今すぐたたむべきだと、創志は感じていた。

もともと安い価格設定の上、何かと客にサービスしたがる義両親。常連客に弁当を届けても、近所だからと配達料も取らない。そんな赤字覚悟の経営ぶりと決算書の数字を見れば、廃業は妥当な判断だ。

土地ごと店を売却すれば、なんとか借金は返せるだろう。頭の中で返済のシミュレーションをしていた創志だったが、義家族は口をそろえて反対した。

「そうは言っても仕方がないだろ。うちはずっとこの値段とこのサービスでやってきたんだ」

「それは理解しているつもりですが、現実問題として借金はどうするんです? 正直、ここまで傾いた店を引き継いで立て直すなんて、僕は自信ないですよ」

創志は説得を試みたが、義父を始めとした義家族はかたくなだった。店を手放したくないの一点張りで、話し合いは平行線のまま。販売価格を上げたり、配達料を取ったりして経営の見直しをすることも提案してみたが、彼らは首を縦に振らなかった。長年続けてきた店のスタイルを守りたいというのだ。

創志は義家族の身勝手さに閉口しながらも、1度後継者を引き受けた手前、彼らの意思を尊重しつつ、店の経営を改善する方法を模索していた。

だが、解決策を見いだす前に決定的な出来事が起こった。結子が「自分たちの貯金を借金返済に充てればいい」と言い出したのだ。

「何だって……? あれは、将来子供が生まれたときのためにためていた金だろう?」

「うん、それはそうだけど……まだ私たち子供いないし、せっかくなら今いる家族のために使おうよ。それに創志も、借金がなくなった方がいいでしょう?」

その瞬間、創志はまたかと思った。そう思うと、結子に対する気持ちが急速に冷めていくのを感じた。

借金をひた隠しにしたまま跡継ぎとして担ぎあげた上、夫婦の将来のために計画的に積み立てていた資金を義両親が作った借金返済に使おうというのだ。創志からしてみればだまされたも同然だった。

結子にとっては、夫の創志よりも、実家の両親の方が優先すべき大切な存在ということだろう。

自分を大切にしてくれない相手とその家族のために一生をささげるのか。

「僕はさ、ずっとお義父(とう)さんとお義母(かあ)さんの要望通りにやってきた。10年やってた仕事だって辞めて、跡を継ぐために見ず知らずの土地まで引っ越してきた。そのうえ、2人でためてきた貯金まで使えなんて、どういうつもりなんだよ」

「どういうつもりって、どういうこと? 家族なんだから、助け合うのは当然でしょ?」

「じゃあ、結子たちが僕や、僕の家族の気持ちを尊重してくれたことが一度だってあった?」

創志が淡々と告げると、結子はもういいと声を荒らげて出て行った。向けられた背中が、結子の答えだと思った。