専門学校の学費を出してほしい

「昌ちゃん、うちに帰ってくるって」

夕食の片付けをしている直美が唐突にそう切り出したとき、憲二は思わず晩酌の缶チューハイを吹き出しそうになった。

息子の昌一は大阪の会社で働いている。盆や正月くらいには実家に顔を出すこともあるものの、連絡を取り合うことはほとんどない。今年で35歳になるのでそろそろ結婚の報告でもしてこないものかと思っていたが、変にプレッシャーを与えて疎まれるのもいやなので黙っている。

「……帰ってくるって何で?」

「なんか仕事辞めたんだって。ほら、けっこう残業とかも忙しかったみたいだし、少し休みたいんだと思う」

「そうか」

少し前の憲二なら、軟弱だ、と思っていただろう。しかし仕事は人生のなかばでいつかは辞めることになる。仕事に励むことももちろん大事だが、仕事はあくまで人生の一部。早めのリタイアでどこか空虚さをぬぐえない自由を手にした憲二は、そう考えを改めていた。

それから間もなく、昌一は大阪で借りていたワンルームマンションを引き払い、実家に戻ってきた。記憶よりも幾分か太った姿に驚きつつ、憲二は疲れ切った表情の昌一が前の明るさを取り戻せるようになるのを待った。

しかし1カ月たっても、2カ月たっても、状況は進展しなかった。

息子は毎日昼まで眠り、日中ふらふらと出掛けたかと思えば、夜中はずっとゲームざんまい。もちろん転職活動を始めるようなそぶりはなく、直美が作った料理を食べ、寝て起きるだけの自堕落な生活を送った。

憲二は次第にいら立ちを覚えるようになっていった。憲二が昌一くらいの年齢のころには、家族を養うために必死に働いていたのに、昌一は何の目的も持たず、ただ時間を浪費しているように見えてならなかった。

「なあ、昌一。そろそろ転職活動とかしたらどうなんだ? 休むのも大事だが、いつまでもこのままってわけにもいかないだろう」

「んー、まあ、うん」

それとなく聞いてみても、昌一の受け答えは判然としなかった。直美にも相談してみたが「疲れてるんだから休ませてあげようよ」の一点張りで話にならなかった。

そんな調子で半年近くが過ぎようとしていたある日、昌一が唐突に言い出した。

「俺、時計の修理士になろうかなって思うんだけどさ。父さん、専門学校のお金出してくれない?」

なんの脈絡もなく放たれた息子の言葉に、憲二は耳を疑った。

「時計の修理士? そんなこと、お前の口から1度も聞いたことないぞ。金、金って簡単に言うけどな、気まぐれのために出してやれるほど裕福ってわけじゃないんだ。だいたい、お前、働いてたときの貯金とかはどうしてるんだ?」

憲二は即座に反対した。再スタートのために専門学校に通うという選択は理解できるが、そのための費用を親に出させるのは甘えでしかないと思ったのだ。