“暴君”の父親の遺言書通り…全財産を長男が相続

私の祖父はヤマっ気の多い性格で、若い頃から友人や知人から持ち掛けられたもうけ話に乗っては失敗を繰り返してきたようです。それでも家が傾くまでに至らなかったのは、祖父と真逆で堅実な長男の父がしっかり家計を掌握してきたからだと聞きました。

とはいえ、私たちきょうだいから見ると父は堅物を絵に描いたような人で、酒も飲まず、もちろんギャンブルの類いには一切手を出しません。日常生活も質素そのもので、食事は一汁一菜が基本、自家用車は業務用を兼ねたバン、私たちきょうだいが両親に旅行に連れていってもらったのも数えるほどです。私なども洋服は常に兄のお古でしたし、ある程度の年齢になるまで自分の家が裕福なのだという実感が持てませんでした。

父は堅物であると同時に、前時代的な考え方を持つ“暴君”でもありました。昭和の地主どころか、明治の地主という感じです。私たちが幼い頃から自分の後継者は長男である兄だと明言し、懇意の税理士事務所に全財産を兄に譲る由の遺言書を作らせていました。

税理士事務所が代替わりした際、息子さんの方から「相続トラブルの火種になる」とやんわり再考を勧められたようですが、頑として首肯しなかったようです。ある意味、父らしいと思います。

その父が亡くなったのは8年ほど前でした。80歳を過ぎても矍鑠(かくしゃく)として、家業については全権を握っていましたが、ある朝、いつも早起きの父がなかなか起きてこなかったのを訝(いぶか)った母が様子を見に行ったところ、布団の中の父は既に息がなかったとのことでした。急性心疾患だったようです。

その頃は55歳になっていた兄が父の手足となって家業をサポートしていたので、日常業務に支障を来すことはありませんでした。相続についても兄がすべての遺産を承継することは以前から決まっていたことなので、弟は陰で舌打ちしていましたが、表立って“骨肉の争い”が起きることはありませんでした。

それは、兄の性格によるところも大きかったように思います。兄は母に似て穏やかで、子供の頃から私や弟がごねると、自分が一歩引いて譲ってくれるようなところがありました。父に対しても従順で、非常に扱いやすい息子であり、後継者であったと思います。