自称38歳・内科医RURUの巧妙な手口とは
きっかけは2年ほど前、父のSNSに届いたメッセージでした。
父はその前週、友人たちと秩父でカヤックを楽しみ、その時の画像をSNSに上げていたようです。メッセージには「私は秩父の出身で子供の頃からカヌーで遊んでいたので、望郷の念にかられてご連絡してしまいました」と書いてあったそうです。
RURUさんというユーザーネームのその女性は、自分は38歳の内科医で、日本のNGO(非政府組織)を通じてアフリカの紛争地域に派遣されていると名乗りました。
父の出身地も埼玉で、秩父のすぐ近くです。郷里やカヌーの話で盛り上がり、それから週に数回、メッセージをやり取りするようになったようです。
10年前に亡くなった母は元看護師で、「十分な医療が受けられない地域の子供たちを救いたい」と自ら志願して海外に派遣され、そこで駐在員だった父と出会っています。父が、母と同じ医療従事者で、同じような志を抱いて渡航したというRURUさんに親近感を抱いたのは想像に難くありません。
やがてRURUさんは、父に薬品や医療器具が絶対的に足りず、治療したくてもできないといった悩みも打ち明けるようになります。そして、現地の若手医師の有志で、日本から寄付を募る活動を始めたと言って、父にも寄付を求めてきました。
父は元商社マンで紛争地の医療事情について生半可な知識があっただけに、RURUさんの“窮状”に共感してしまったのだと思います。要請に応えて何度か100万円単位で送金したようでした。
そうこうするうち、RURUさんのメッセージには、「私は3歳の時に事故で父を亡くしていて、実の父の記憶がほとんどありません。最初は窪田さんに父の面影を求めていたのですが、窪田さんの優しさや、私の全てを包み込んでくれるような懐の深さに接するうちに、いつの間にか窪田さんを男性として意識するようになりました」などという“愛の告白”もどきの文章も混じるようになっていたのです。
恐らくは父も、“過酷な紛争地で、日々、病やケガに苦しむ子供たちを救うために奮闘する若い女性医師”に昔の母の姿を重ね、次第にRURUさんに惹かれていったのではないかと思います。