かつての客たちの心遣い
「店、まだやれないの?」
床を磨いていた実花が振り返ると、作業服姿の田中が立っていた。実花はぺこりと頭を下げた。
「はい、まだ、もう少し掛かると思います……」
「そうかぁ。いつ頃とか決まってるの?」
実花はゆっくりと首を横に振った。
「それがまだ……。店の空調設備や冷蔵庫とか、全部を買い替えないといけなくて、そのための費用がなかなか準備できてなくて」
実花がそう説明すると、田中は残念そうに眉尻を落とす。
「それは残念だなぁ」
そう言って、田中は実花の前から去って行った。こうしていつか、お客は誰一人いなくなるのかもしれない。実花はそんな不幸な未来を想像してしまった。
夕方になり、機材調達のつてをあたっていた良平が店に戻ってきたが、その表情は暗かった。
「やっぱり、無理だ。俺たちの資金じゃ、まともな機材は準備できそうにない……」
落ち込んでいる良平に実花は声をかける。
「ま、まだ諦めないでよ。あなたがそんなんじゃ、この店は再開できないじゃない」
しかし実花の声かけも良平には届いていないようだ。
良平はがっくりと肩を落とし、空虚なまなざしで床を見下ろしていた。
「……もう畳むか」
「えっ⁉ な、何を言ってるの⁉」
「だって、これ以上、あがいても無駄だろ。この店とか土地を売って、別の場所に引っ越して、そこで暮らした方がマシだよ……」
「そんな……」
実花は何とか言い返そうとしたが、言葉が出ない。現状では店を畳むという決断が間違ってないとどこかで思ってしまっていた。
すると、唐突に店のドアが開いた。実花がドアに目を向けると、そこには田中を始めとした工務店の従業員たちが立っていた。
「あのさ、俺たちでできることがあれば、何でも言ってよ。力になるからさ」
「え……?」
田中の言葉に実花は驚く。田中は周りの従業員たちに目を向ける。
「ほら、俺たち、この店がなくなると、困るんだよ。柏谷食堂の飯はどれもうまいからさ」
田中の言葉に実花は目頭が熱くなる。
「ありがとう、ございます。で、でも、なかなか、難しいのが現状でして……」
「冷蔵庫のことだったら、俺たちに任せてよ。業務用の冷蔵庫を扱っている業者に知り合いがいるからさ、そこに頼んで少しでも安いやつを見繕ってもらうから」
田中の提案に良平は立ち上がる。
「え? そ、そんなことできるんですか?」
「ああ、そこらへんのツテは任せてよ。他にも町内会の人に掛け合って、店の再開に必要なものを集めてもらうようにするから。必要なら募金集めだってするぜ」
田中に笑いかけられて、良平は強く拳を握りしめた。
「ありがとうございます。必ず、店を再開させます……!」