妻・満子は…

夫婦水入らずの旅は、新婚旅行以来だった。

移動は新幹線と電車、どちらにするか悩んだが、ゆったり景色も楽しもうと電車にした。

チケットを2枚取り、景色が見える窓側の座席に満子を座らせた。

電車に揺られていると車掌が切符を切りにくる。大吾はチケットを2枚差し出す。車掌は一瞬固まって、何事もなかったかのように2枚の切符を切って立ち去っていく。大吾は居心地の悪さを感じたが、気を取り直し、満子と2人、景色を見ながら駅弁を食べた。

箱根湯本の駅で降り、そのまま予約しておいた旅館へと荷物を置きに向かった。もっと移動で疲れているかとも思ったが、思いのほか元気だったので予定を変更し、2人で早速お目当ての箱根神社に向かった。本殿でお参りをし、神社のなかを散策した。箱根神社には平和の鳥居と呼ばれる水中鳥居があった。芦ノ湖のほとりに建てられたその鳥居を見て、年がいもなく写真を何枚も取ってしまった。

旅館に戻った大吾は温泉に漬かり、地元でとれた食材を使った料理を楽しんだ。仕事をしているときはこんなふうにゆっくりする時間も作れなかった。満子はきっと身を粉にして働く夫ではなく、時間を求めていたのかもしれない。

手酌をしながら満子を見やる。

満子は本当によくできた女房だった。だが半歩後ろをついてくる満子のことを、自分はちゃんと見てやれていたのだろうか。神社や仏閣が好きだと言ったのも、結婚して間もない頃に聞いた話だ。若いうちに色んなところを回っておかないとねぇ。満子の声がよみがえる。これはきっと旅行に行こうという誘いだったのだろう。だが大吾は、忙しいから無理だと無碍(むげ)に断った。

大吾は熱かんを一気に飲む。視界がぼやけた。酔いではなかった。熱い涙がこぼれ落ちていた。

大吾は仕事を理由にして満子から、2人の子供たちから目を背け、逃げてきた。そんな人生を歩んでいた。しかしもう俺に逃げ場はない。

「俺はこれからどうやって生きていけばいい……?」

大吾は目の前の満子に尋ねる。

しかし遺影の満子に返事などできるはずもなかった。満子の前に注いだ熱かんは、もうとっくに冷たくなっている。

●後悔先に立たず。満子はすでに帰らぬ人となっていた……。大吾はこれからの人生に生きがいを見いだす事はできるのだろうか? 後編【「お父さんが殺したんだ!」崩壊した親子関係の“やり直し”を決意させた亡き妻の「日記に書いた願い」にて、詳細をお届けします。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。