父の異変
足腰を悪くした70過ぎの父が酒屋を続けることは困難だったため、店は康太が継ぐことになった。
会社では経理部だったこともあり、小さな酒屋の金勘定は苦ではない。経営自体はいくつかの飲食店と地元住民の来客で安定しているので、売り上げが大きく跳ねることもなかったが大きく沈むこともないのは安心材料の一つだ。
とはいえ、介護のほうは慣れないことが多かった。足腰の悪い父を支えて風呂に入れるのは重労働だったし、そもそも家事を全くやってこなかった康太にとって、2人分の料理をすることも洗濯や掃除をすることも大変だった。
1日が終わるころにはくたくたになっている。ようやく手に入れた1人の時間、康太は離婚以来手放せなくなった酒をあおる。実家が酒屋なのは幸いだ。いざとなれば飲む酒には困らない。
物音に反応して振り返ると重治が起きてきていた。父はもう家の中であっても歩行器がないと歩けない。田舎の平屋だから廊下が広いことが幸いし不便はないが、自分の足で存分に歩くことすらままならない父を見るのはまだ慣れなくて少しつらかった。
「どうしたの? 寝られない?」
父は黙ったまま立っている。康太はビールを喉に流し込んで沈黙を埋める。父の視線が泳いでいた。
「……どちらさまでしょうか?」
康太には一瞬意味が分からなかった。
「は? 何ふざけてんだよ」
康太は半笑いで言ったが、父は困惑して眉をひそめていた。
「おいおい、マジかよ」
康太は天を仰いだ。
●父が認知症に。康太は父の介護、家事、家業の酒屋を両立していけるのか……。 後編【「親の介護でつぶされちゃった人」にならないために… “恍惚の父”を介護する息子の決心】にて、詳細をお届けします。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。