「国際ロマンス詐欺」の被害者に…
イアンからの連絡が途絶えたのは、180万円を振り込んだ翌日のことだった。SNSのアカウントが削除されていた。『なにか事件や事故に巻き込まれたのではないか』と思ったが、どうすればいいか分からず、思い切って110番に電話してみた。海外のことだし無駄だろうと思ったが、なにかをせずにはいられなかった。
電話してみると、警察は意外なほど丁寧に話を聞いてくれた。そして、事情を聞いてくれた窓口の警察官の口から信じられないような言葉が飛び出した。
「滝沢さん、あなた詐欺の被害に遭っているかも知れませんよ」
警察官から言われた通り、すぐに最寄りの警察署に向かった。タクシーを使ったが、休日の昼間ということもあり、道路はいつもより混んでいた。驚きと緊張のあまり「どうしてこんなに混んでるの!」とタクシーの中で声を荒らげてしまった。運転手はなにも答えず、ルームミラー越しに冷たい視線を投げつけた。タクシーが警察署の前に止まると、涼子は運転手からお釣りも受け取らず、警察署の中に駆け込んだ。尋常ではない涼子の様子を見た女性警官が「どうしました」と声をかけてくれた。涼子は、そこでやっと冷静さを取り戻した。
いわゆる「国際ロマンス詐欺」という手口らしい。イアン・レビットという名前も、アーサー大学という学歴も、システムエンジニアという職業も全てうそで、涼子とDMのやりとりをしていたのは、反社会的組織に属する日本人の可能性が高いという。
そんな話を涼子は最寄りの警察署で聞かされた。涼子が振り込んだ180万円はすでに引き出されていて、取り戻せる可能性は限りなくゼロに近いと言われた。
涼子は仕事を辞めた。派遣先の上司や同僚は驚いていたし、派遣会社の営業担当も「滝沢さんは今の職場からの評価も高くて、合ってると思ったんですが……」と残念そうだった。申し訳ない気持ちはあったが、とても仕事を続けられるようなメンタルではなかった。
自分が詐欺師のカモにされたという現実は、涼子のプライドをずたずたにした。今はアパートの部屋に引きこもり、食料を買うために近所のスーパーに行くのが唯一の外出になっていた。
もはや、生ける屍(しかばね)のようだった。今の涼子を支えているのは「自分はこんなところで終わる人間ではない」という、ずたずたになったプライドのかけらだけだった。味わったことのない屈辱の中で、涼子はプライドのかけらを糧に再び立ち上がろうとしていた。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。